セアカゴケグモ柏に出現
2015/10/02

一昨日、市役所環境課からメールが届いた。 
27年9月30日、市内高南台1丁目で、市民からセアカゴケグモによく似たクモがいるという連絡があり、職員が採集し、環境事務所で同定した結果、柏市では初めてのセアカゴケグモの棲息が確認されたという。
 発見場所周辺で生息状況を調査すると共に、市民への注意喚起をおこなったという。セアカゴケグモは、オーストラリア原産の毒グモで攻撃性はないが、触れると噛まれことがあり、次第に痛みを増し、子供などは重症化することがあるという。一時、大阪で大量に発見され国内にもその生息域は広がっているようである。
毒をもつのは雌だけで体長は、約0・6〜1cmほどで、全体が光沢のある黒色で、腹部の背中に赤色の模様がある。どうした理由かは知らないが、蚊や蜂などもメスしか刺さないし、この毒グモも毒のあるのは雌だけという。
 昆虫の世界でも、動物や小鳥の世界でも圧倒的に美しいのはオスの方なのだが、メスのような残酷さはないようだ。ひょっとすると、生き物の人間世界もこんなものかもしれない。

天災は 忘れた頃に・・・
2015/09/12

 千年に一度といわれる東日本大震災が起こって以来、3年半が過ぎた。その時の大津波のテレビでの映像は、今でも恐怖と共に衝撃的な光景として鮮明に思い起こすことが出来る。家や車や大型船が、押し寄せる濁流にマッチ箱のように流されていた。
 そして、一昨日、台風18号の通過の後に起こった災害は、栃木県、茨城県及び関東一円にかつてない集中豪雨が降り続き、遂に、お隣の茨城県常総市で鬼怒川が決壊してしまった。一級河川での決壊は近くの小貝川の決壊以来、29年ぶりというが、その状況のテレビ中継は、まさに大震災のときと同様の光景を映し出していた。多くの人々が、2階のべランダや屋根の上って助けを求め、自衛隊のヘリが救助に来るが一人ひとりの救出に時間がかかり、遅々として救助が進まない。決壊箇所に近いところでは、激流が今にも家を押し流さんばかりである。次第にヘリの機数も増えてはきたが、取り残された住民数が多すぎて、とても日没までには間に合いそうもない。やきもきして、テレビに釘付けになっていたが、死者や行方不明者が20数人出ているということである。 
 そして、今朝方には、調布市を震源とする震度5弱の地震が発生した。幸い、こちらはたいした被害も出ていないようだが、多くの人は「いよいよ日本も危くなってきたのではないか・・・」と、思ったのではないだろうか。
また、桜島や御嶽山、箱根山など日本中、何時火山が大爆発しても可笑しくないという状況にあり、富士山でも噴火したら首都直下型地震以上の被害が出るかもしれない。更に、異常気象は地球規模であり、今年の夏の暑さも尋常な事態ではない。
かつて、寺田虎彦は「天災は、忘れた頃にやって来る」と言っているが、忘れた頃どころではない。何時、どこで、何が起こっても可笑しくない状況にあるようだ。

魚釣りの話
2015/08/30

 私の田舎には、一級河川の那珂川という清流が流れており、山や川は子供たちの絶好の遊び場であった。夏ともなると、ガキ大将に連れられ街中を流れる清水川というどぶ川を下って那珂川の下流、ジョーバンと呼ばれる淀みに良く泳ぎに行ったものである。
 小学校の高学年になる頃には、多くの男の子たちは自己流の犬掻き(イヌカキ)から始まり、日本古流の抜き手で川の向こう岸まで泳いで越せるようになる。今どきのようにクロールで優雅に泳ぐことは出来ないが、ほとんどの子供たちは泳ぎもできたし、冬は寒かったので、スケートなども自在に滑れるのは当たり前であった。
 私が幼少時にそんな自然の中で育ったことは、今思うと、非常に幸運なことであった。
 特に私は、小学高学年の頃から那珂川の近くに住んでいた友人の影響もあり、魚釣りに夢中になっていた時期がある。幼い頃の「ズーコン」という糸に針をつけカワムシ(カゲロウの幼虫)をつけただけの簡単なつり方から始まり、中学生くらいになると、「毛ばり引き」という道糸に10本ぐらいの毛ばりの疑似餌の付いた釣り竿で流し釣りをする方法で、鮎の稚魚やハヤやヤマベなどを釣るのである。
 当時も今も、釣り好きの大人は「鮎の友釣り」をしているが、入漁料の鑑札を買い船まで手に入れてしまうそんな釣りをする前に、私は田舎を出てしまったので友釣りの経験はないのだが、私の高校の担任の先生などは、この鮎釣りが大好きでどこにも転勤することなく、定年まで烏山高校から離れなかったほどである。休日ともなると朝から晩まで船に乗って友釣りをしていたものだ。当時は、そんな暢気で我儘が通る良き時代だったのである。
 また、私の実家の店に勤める番頭さんの手塚さんという中年の小父さんは、「投網」が好きで、夕方になるとオートバイに私を乗せて那珂川支流の滝川まで連れて行ってくれた。小学生には重くて投げられないのだが、私が中学生になった頃には、その投げ方を教えてくた。5,6kgもある数十個の錘(おもり)の付いた投網の三分の一ほどを左腕のひじにかけ、残りを両手に広げて持って、左から右に振り投げるのである。上手くいけば網は大きく広がり円を描いて川面に4〜5mの囲いが出来て網が沈む。主に浅瀬でやるのだが、引き上げると網にかかった鮎や小魚が何匹も入るのである。川下から川上に向かって網を打ちながら遡っていく漁法がこの投網なのだが、名人芸になると網の円が6,7mにも広がるのでその分、沢山の魚が獲れるのである。
 当時の私には、まだまだ投網が重かったので、私はもっぱら「下げ針」と呼ばれた一本の太いタマ糸に10本ほどの大きな釣り針(餌は太いミミズ)の付いた仕掛けを作り、両端に大き目の石ころをつけたものを、川の中ほどまで投げ入れ、それを何段か仕掛けるのである。その仕掛けは、翌朝早く引き上げに行くのだが、結構、ウナギやナマズや他の大物の魚が掛かるのである。大物といえば、那珂川には至る所に落ち鮎を取るための簗場(ヤナバ)が設けられるのだが、台風の時やその後の増水時に行くと、とんでもない大きなウナギや鯉やナマズなどが上がるのである。初めて1mにもなるウナギを見たときにはびっくりしてしまった。
 今でも、時折、そんなときの夢を見ることがあるが、忘れていた狩猟本能を呼び興され興奮で目が覚めてしまうほどである。また、先の「ズーコン」で連れるときの当りの強烈なことは、これまで経験したどんな釣りの当りよりも快感であり、その感触は今でもハッキリと身体で覚えており、その引きの快感を思い出すことが出来る。懐かしい故郷の釣りの思い出である。

秋きぬと・・
2015/08/16

 選挙が済み、日が経つにつれて疲労が襲ってくる。
 ちょうどお盆に入り、人の出入りも少なくなったので多少のんびりしているが、今月24日までに選挙の収支報告書の提出もあり、領収書の整理などあれこれ雑用が出てくる。
 これまで毎日預かっていた孫達も、今日からは家族でのキャンプということで事務所の中は益々静かになってしまった。慣れない「暇をもてあます・・」と言う異常事態に、夕方には久々に大堀川の水辺公園へ散歩に出かけた。そこは、つい先日の炎熱地獄が嘘のような、涼しく快適なそよ風が吹いていた。
 「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」 
 まさに古今和歌集のそんな世界であった。

選挙の反省
2015/08/10

大幅に票を落としたが、何とか当選することが出来た。一人ひとりの支援者に感謝するとともに、彼らと共に自分自身が落選という憂き目に会わなくて済んだことにホッとしている。
 昨日の夕刻、7時過ぎに自分の投票所に行き、びっくり仰天、投票率が18%台なのである。これまでも投票率が低い地域なので苦戦を強いられてきたのだが、今回ほどのひどいことはなかった。もう一箇所の柏二小の状況を聞くとやはり18%台という。これでは受かるはずがないと半ば諦めたものだが、結果は2151票という、ちょうど16年前の初当選と時と同様の得票で何とか33番目で滑り込んだ。
 様々な反省点はあるが、最大の敗因は、自分の地域が「山内は大丈夫だ・・」という楽観的雰囲気が浸透してしまったところにあるような気がする。暑く厳しい真夏日に、「自分が投票に行かなくても当選するだろう・・」という安易な考えに多くの人が陥ってしまったようである。更には、多くの自民党公認者が票を落としているのは、安保法案改正の安倍総理への批判が強く、逆風が吹いていることもあるようだ。
 今回の選挙では、様々なことがあったが、選挙は全て自己責任なので言い訳は出来ない。ともあれ、今日も事後処理に走り回る一日であった。

黄色いユニホーム
2015/08/05

選挙戦も佳境に入るが、この暑さは一体どうしたことなのだろう。いずれの候補者も、この炎熱地獄の中を死に物狂いで当選をめざし選挙活動をしている。
 私が感心をするのは、候補者当人は自分のことなので仕方がないにしても、支援者やボランテアの応援者などが朝・夕の駅頭や近隣の引き回し、街宣車の運転や手を振り要員のなどの搭乗者などは、いずれをとっても半端な暑さではないのに、連日入れ替わり、選挙の手伝いに来てくれる。候補者が折れそうになるのに逆にハッパをかけられることが度々である。そんな人たちの支えられ選挙戦を戦っている。有難いことである。
 こんな選挙が面白いのか、日々、応援団が増える。昨日の駅頭など、柏駅の西口を我が「黄色軍団」がデッキの上、下を占拠してしまった。5回の選挙で初めてのことである。いろいろなことが起こる。
 

サプライズ
2015/07/30

 多くの市議選候補者も、この暑さには欲も得もなくなり、「早く選挙になれば良い」と思っているのではないかと思う。例年にない酷暑の夏に、この市議会議員選挙である。熱中症になるような、真昼間の活動を避け夜明けと共にポスティングを開始し、クソ暑い真昼間はチョウや昆虫同様に木陰で羽を休め、多少とも気温の下がる夕方から活動を開始することを自然に覚えた。
 先日の決起大会には、当日になり突然「片山さつき」参議院議員が応援に駆けつけてくれ驚いたものだが、今日もまた電話があり、出陣式には会派の何人かの応援に来るという。確定ということではないとなので、当日のサプライズということになりそうである。4年前にも突然の応援ということで自民党の何人かの議員のところに応援にやって来たが、さすがに話が上手いので支援者は喜んでいた。才媛の誉れ高い彼女も参院選の比例区なので自分の選挙運動も兼ねているのだろうが、私のような末端のところまで足を運んでもらえるのは、有難いことである。
 選挙中には、連日、いろいろな人に会い、また、いろいろなことが起こり面白いものだが、結構神経が疲れるものである。今日も一日が終わる。

試練の時
2015/07/24

いよいよ夏本番、連日、35度前後の灼熱地獄の中を、立候補の挨拶回りに奔走する。この試練を耐えなければ、当選という柏市議会議員の関門の通過許可証を手にすることはできないのである。若いうちならいざ知らず、高齢者やメタボや足の悪いものには相当きつい難行苦行である。幸い、日頃からポスティングなどで足腰を鍛えている私には、これこそ心身の鍛錬と、大汗を流しながら開き直って挑戦しているが、2,3キロも体重が減ってしまった。
 忙しい時には、何かと次々に仕事や行事が重なるもので、監査の終了と同時に夏祭りで全精力を使い果たし、やっと選挙モードにはいり事務所開きをやり、続いて決起集会を開いたとたんに、翌日には、お隣の奥さんのお通夜と葬儀が舞い込む。お世話になった隣家のよしみで相談や受付を引き受けることになる。「義理のやり直しはできない」というのが私の信条の一つなので、何をおいても葬儀のお手伝いはしなければならないと思う。目の回るような多忙な日々が続く。
 
 
 

真夏の夜の夢
2015/07/19

 選挙戦も佳境に入り、連日の猛暑の中、汗だくなりながら走り回っている。これまでの選挙と同様、ただただ足を棒にして支援者周りが私の選挙運動である。
 そんな中、度々、同僚の現職議員の出馬を断念するというショッキングなニュース飛び込んでくる。様々な理由があり、出馬するとき同様の大きな決断があるのだろうが、まだまだ元気で働けるのに・・という思いもする若手議員もいる。しかし、考えると、議員などという何の保証もない泡沫(うたかた)のような立場、身分は、決して居心地の良いものではなく、4年に一度回ってくる選挙を意識すると、四六時中気遣いばかりで、そんなに魅力のある仕事ではない。
 特に、4年前に議員年金が破たんしてからは、若い者が議員を何期務めようが、将来の保証は全くないのである。所帯を持ち、子育てをするのにはリスクが大きすぎる。 それでも、毎回、選挙になると多くの立候補者がでてくる。
 台風の影響で心配された地元の盆踊りの初日が、例年のように盛大に終わったところである。これまで地元の地主さんの好意で使わせていただいていた最高の場所が、都合で今年限りで使えなくなるという。とても残念であるが、これまで20年以上も快く使わせていただいたことに、ただただ感謝するばかりである。

監査が終わる
2015/07/11

この1週間、久々に定期試験前の一夜漬けの気分を味わった。前もって目を通していたつもりの監査資料もほとんど身に入っていないので、連日、深夜まで猛勉強ということになる。朝の9時半に開始し、午前2ヶ所の部、午後も2ヶ所の部の決算審査の監査がある。1人、25分の持ち時間を4人の監査委員があれこれ質問をするのだが、代表監査や専門の会計士などは着目する場所も知っており、数年前からの流れも分かっているので、的確な指摘や追求も出来るのだが、議員の私たちは、どこに問題があるのかよく分からない。毎日の資料は5、600ページもあるのだが、多忙な昼間の時間には見てもいられないので、ついつい夜になってからの作業になってしまう。眠気と疲労もあり頭に入らない。その結果、連日がぶっつけ本番の質疑になってしまう。
 そんな5日間がやっと終了し、昨夜は1週間ぶりの盆踊りの練習日であった。私の役割は、ダンボールの箱で作った太鼓を叩くことなのだが、疲れも吹き飛び心身がリフレッシュして元気になる。いよいよ、選挙体制に入ると共に、来週の町会の祭りの準備が待っている。

梅雨の晴れ間
2015/07/04

 不安定な梅雨空を気にしながら、いよいよ選挙戦に突入というところか・・。出来上がったリーフレットを持って、近隣の支持者回りが開始する。この4年間、真剣に町会の仕事に取り組み、近隣センター活動などに汗を流してきたせいか、多くの知り合いや支援者が増え、選挙運動も以前とはずいぶん違ってきた。
 一方、来週明けからの決算審査の監査が始るので、その準備に忙殺されている。何しろ、1日分の資料だけで4〜500ページもあるので目を通すだけで憂鬱になる。その中から、不審なところ探し質問をするなど至難の業であり能力を超えているので、関心のある項目についての事業について、内容の説明や進捗状況、効果や結果などを尋ねることにしている。監査をして分かることだが、市の仕事内容や事業の幅の広さには驚くばかりで知らないことばかりある。そして、それぞれの担当の職員が日常的に専門の仕事に取り組んでいるので、私たち議員の知識とは深さが違うのである。しかし、分からないことは聞けばよいので、議員が全てを知ることもないと思っている。
 祭りの季節が近づき、昨夜に引き続き今夜も盆踊りの練習会があった。私の町会では、近年、浴衣を着た踊り子達の踊りの輪が出来るようになった。

選挙の準備
2015/06/26

今議会の議員任期最後の議会が終了した。様々な理由により今期限り勇退する議員さんがいる一方、十数人もの新人立候補者の名前も上がっている。
 私も16年前には新人議員として、今思うと後先も考えず無謀にも立候補したものだが、がむしゃらに地元を歩き回ったお陰で何とか当選できたのである。まさに僥倖であった。以来、選挙のたびに初心に帰って、常に前にも増して真剣に足を棒にして歩いてきたのである。その間、年に2,3回は「市議会だより」を、自分で記事を書き、印刷をし、紙折り機で折っては自分で配布をしてきた。これは、自分の健康のためという意識もあり、毎回、7,8千枚はポスティングしている。地域を歩き回ると、多くの人とも出会うこともでき、地域の問題も良く見えるので一石二鳥である。
 ところが、今回は、町会の仕事や監査の仕事、夏祭りなどの行事の準備などで、思うように選挙の準備が出来ない上、せっかく出来た配布物のポスティングや挨拶回りに外に出る暇がないのである。
 昨夜のお別れパーテーに次いで、今日は月例監査があった。明日は防災会議と祭りの打ち合わせもある。

週末の行事・2題
2015/06/21

昨夜は、昆虫愛好家の家族10組が、議員仲間の日暮宅に集合し、ホタルの鑑賞会を行った。十数年前、私と一緒に千葉市の泉谷公園で、ホタルの養殖のノウハウを学んで以来、彼は、ずっと飼育を続けてきたので、今で市内ではホタルの第一人者である。飼育そのものは難しくないが、何年も継続して何百匹ものホタルを繁殖させることは並大抵の苦労ではないらしい。
 美しい情緒溢れるホタルの光や飛び交う様は、清少納言ならずとも「いとおかしの・・」の世界であり、親子で感嘆の声を上げていた。
 そして、今日は、我が町会の潮干狩りである。震災前まで続けてきた恒例行事であったが、ここ数年間、放射能汚染が心配で中止していたものである。お天気が心配だったが、何とか海の中では降られずに終了することが出来た。連休中の混雑のため、手ごろの大きさの貝が捕りつくされたということで、収穫物は小さな貝ばかりであった。やっと、地元の漁業組合も放射能汚染の風評被害から立ち直ったようである。

市民病院のこと
2015/06/17

議員の任期満了の今議会も、明日を残して最終日となってしまった。前議会は、柏市民病院の移転建て替え問題で終始したのだが、市長が凍結を決めたせいなのか、今回は市民病院についての質問をする者も少なく激しい攻撃も無かったのだが、今日になってやっと市長答弁がないことから、移転反対議員により久々の「議事進行!」の声がかかった。
 目下、保健福祉部理事が、地元周辺町会から始まり、希望する各町会での意見交換会を開催しているのだが、「なぜ市長が行かないのか・・」という繰り返しの追及に理事が答弁したために起こった騒ぎである。市長は、「多忙のため全てに参加できないので、説明会には出ていない・・」と、答弁している。
 私の町会にも、説明会の可否の通知が来ているが、内々に、近隣の会長に聞いてみると、多くは「24億円の土地の取得の無駄」という主張より、「柏市民にとって、より利便性の高いところに、小児医療の2次救急病院を作ってほしい・・」という意見が多いようだ。私などは、監査の折に聞いたところ、現状でも何とかなるそうなので、財政多難の折に200億円以上も掛けて建て替えなくても良いのではないかと思ってしまう。柏市には、代わりの病院がいくらでもあるのだ。
 

昆虫展のこと
2015/06/14

この土、日の2日間、流山の生涯学習センターで今年2回目の昆虫展が行われた。今回は、千葉県主催の「科学の祭典」に協賛しての、昨年に続いて2度目の参加である。我が「東葛昆虫愛好会」というこの会は、一昨年設立されたばかりの趣味の会であり、その活動は、柏周辺の昆虫愛好家が、自分の蝶や甲虫などの標本を持ち寄って展示会などを行い、昔の我々ような虫好きな子供たちを育てよう・・という殊勝な目的で創られた会なのである。
 先の5月の連休に実施した「あけぼの山農業公園」で行った昆虫展に次ぐ行事で、前回用意した生きたヘラクレスオオカブトなどの人気者のカブトやクワガタムシなどの出品と標本展示などが主な内容である。子供たちが図鑑でしか見られない珍しい本物の昆虫標本を見たり、また、ムシキングに出てくる人気者の生きた昆虫を直接手に触れることが出来るというので、多くの子供たちが歓声を上げていた。やはり子供たちは、虫が好きなのである。
 今後これらの展示品は、生き虫ともども3箇所の近隣センターへ貸し出され展示会が予定されている。
 また、前回のあけぼの山で実施した自然観察会や標本作りなども希望者が多く、来週末のホタルを見る会や夏休みにはバナナトラップによるカブト虫の採集会なども計画されている。
 大人になり切れない酔狂者、ほんの数人の努力と協力でこんな楽しい夢が実現されるのである。いくらかでも子供たちの情操教育や小さな命の学びになればと思う。

大掃除
2015/06/11

選挙に向けて事務所の掃除、整理を始めたのだが、いつか読むだろうと思ってファイルに綴じたり封筒に入れて残した書類や書籍、印刷物が、驚くほどに膨大になり、これ以上置く場所もないので処分することにした。以前、監査をしていたときその資料が、1年間でちょうど1メートルの高さになったが、今度は、4年分の大掃除である。大切に保管しておいても読むこともないので、結局、大英断を持って捨てることにした訳である。
 昨日までに整理した書籍、文書類、さすがに回収日に資源ごみとしては出せないので市の清掃工場まで持っていった。その総重量は、120キログラム、2330円であった。
 今、それ以上に頭を悩ませているのが、何十年も撮り貯めた写真の整理である。それこそ、四季折々に撮った風景や草花、視察や旅行の写真など、捨てるに捨てられないで困っている。老後の楽しみに、いつの日か思い出に浸ろうと思っていたが、どうもそんな暇な日は来そうもないようだ。

ブログ更新の決意
2015/06/08

 久々に自分のホームぺーを開いてみた。4年前の当選の報告と金環食の記事が最後であった。
 それまでは、思い付くまま気の向くまま、心に移り往くよしなしごとを気楽に書いてきたのだが、多くの方々の期待に反し、思うところがありホームページの更新を中止したのである。
 しかしこの度、インターネット等を利用する方法による選挙運動が解禁になり、「何人も、ウエブサイト等を利用する方法により、選挙運動を行なうことが出来る」というような時代になったのに、ホームページを持っているのに利用しない手はないだろうと、過日の「立候補予定者説明会」に参加して思ったわけである。
 4年以上のブランクは、結構、文章を書く事自体が億劫になってしまったが、意を決して5期目への挑戦をする事になったので、再度、昔のように読みやすい日常の出来事や市政報告などを書いていきたいと思う。
 
 

金環食の起こった日
2012/05/29

何十年ぶりかで、金環日食が起こるという新聞記事が出たのはかなり以前のことであった。
しかも今回の金環食の見える範囲が、南は九州から東北まで日本列島を縦断するという広域のもので、こんな現象は平安時代以来932年ぶりといい、今後は300年経過しないと起こらないといわれている。
 私の日食の記憶では、中学生の頃皆既日食が見られ、手作りの天体望遠鏡を物干し台の上に設置し、接眼レンズの後ろに白い厚紙を置いて映像を映し観測・記録したことを覚えている。また、小学生の頃には、国語の教科書に礼文島での金環食のことが載っており、それを読んだときに、いつの日か一度はこの天体ショウーを見てみたいと思ったものである。
 以来、これまで幾度と無く金環食の記事には接しても、海外や北海道や九州の離島などまでわざわざ出かけていくほどの余裕もなく、それほどの熱狂的な天文ファンでもなかったので、一度もそんな観測の機会は無かった。ところが今回は、この千葉・東京などは絶好の観測ポイントにあり、しかも5分間もの長時間金環食が見られと言うのである。
 そんなマスコミの報道の中で、日本中の国民が首を長くしてその日の来るのを待っていたところ、5月21日、その日が近づくにつれ、どうも天気予報の経過が思わしくない。早朝から日食が始るのに、関東地方は「曇りのち晴」、九州地方などは雨の予報なのである。
曇っていたのでは刻々変わる太陽の変化を見ることもは出来ないので、多くの人たちもがっかりしたことだろう。また、その予報で半ば観察を諦めた人たちもいたことだろう。
私もまた半分あきらめながらも、前夜は殊勝にもいつもより早く床に着いたものである。ところが夢の中では何度も日食のことを考えており、暗いうちに起きて群馬や栃木辺りまで車で飛ばして行けば、多少晴れる予想が出ているので日食が見られるのではないか・・・などと、真暗な外の様子を気にしながらうつらうつらしていた。
そして6時過ぎ、気がついて目を開けると、雨戸の外が明るくどうも陽が出ているようである。慌てて飛び起き外を見ると太陽が出ているではないか。「ラッキー」と私は喜びの余り大きな声を出してしまった。早速、購入しておいた日食観察用の双眼鏡を取り出し外に出るとまだ太陽は欠けていない。今のうちにと、大至急食事を取り再び外に出る。わずか5,6分位の間であったと思う。
ところがびっくり仰天、空には雲が出ており太陽が見えなくなっているではないか。先ほどの喜びは正に糠喜び、今度はガッカリどころか大ショックである。「頭にきたぞー」と家に入ると、妻が「お茶でも飲みながら待ってましょうヨ・・」と言う。
そして、外に出てしばらく待つ間もなく、明るくなった雲間から肉眼でも太陽が欠けはじめているのが見える。6:30には、右上から欠け初め、10分ほどで半分近くが月の陰に隠れ欠けてきた。眩しくなく雲間からの太陽を肉眼で見えるときには、望遠付のデジタルカメラで写真を撮りまくる。少し明るく太陽が眩しくなると、カメラには白く光って映像が写らない。そんな時には倍率3倍の双眼鏡で観察をする。細い三日月型の太陽になった直ぐ後には、程なく輝きが次第に円に近くなり、突然、その輝きが一つに結合し金の輪になった。「ヤッター」金環食の完成である。夢にまで見た本物の金環食である。「綺麗ねー」と、妻の興奮した声。
何度もカメラのシャッターを切るが明るすぎて映像にならない。やはり、準備不足であった。雲の厚み加減でよい映像にもなるが、明るすぎてはフィルターが無ければ写真に収めることは不可能なのである。
しかし、快晴下の観察では味気の無い観測になるが、思いもかけず雲間からの金環食の観測はスリルもあり、流れる雲とのコラボレイションによる変化にとんだ観察が出来、非常に面白いものになった。
日本中では、何百万人もの人々がこの天体ショーを楽しんだことであろう。あいにく福岡にいる孫達は、朝から雨になり日食の観察が出来ないという連絡が入ったが、インターネットの中継で映像を見ているということであった。
現金なもので、太陽が欠け始めて金環食になるまでは真剣に見ていたくせに、月が太陽面を通り過ぎ、輪が崩れると共に空を見上げるのをやめてしまった。
夢にまで見たこの天体現象なのに、この熱の冷めようは、一体、何故なのだろうかと不思議に思う。テレビの放送では美しい映像をこれでもかと流しているので、小さい双眼鏡や素人のカメラで撮影した映像などは喜びを半減させてしまうのかもしれない。
それでも今回の金環食の観察が出来たことは、久々の快挙であり、国民を充分に幸せにする現象であった。
更に、その翌日(22日)には、世界一となるスカイツリーが開業になった。こちらはあいにくの天候で、朝から雨にたたられ、634mという高い高い塔もまた雲に覆われ、視界が全く利かないという最悪の状況であった。
もし1日ずれていたら日食もこのような悲惨な状況に陥っていたかもしれない。あのような見事な日食の見られたことはラッキーであり、正に僥倖であった。
何はともあれ、私にとっての長年の願望であった金環食が見られたので、非常に満足している。

2011/09/27

「蒔かぬ種は生えぬ・・・」とは良く言う言葉である。どんなことでも、まず、始めに手を下さなければ何も成らないということであり、何をするか、どのようにするか、どんな結果を望んでいるのかという目的があって物事はスタートをする。つまり、何の種を蒔いて、どんな花を咲かせようか、どんな果実を収穫しようかという目的があって人は種を蒔くのである。まず取り掛かる事であり、隣の青い芝生を眺めているだけでは何も生えては来ないし、更に、同じ種を蒔くにしても、普通の人が芝生や草花の種を蒔く気持ちと、農家の人が作物の種を蒔く時の心構えとでは、天地の違いほどの差があるものである。
「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉の種がどんな種なのかは知らないが、多くの場合、何気なく気楽な気持ちで蒔いていた種が、何時の間にか芽を出し、花をつけ、実を結んでいたりしたときに発する言葉で、広くは、そんな何気ない気持ちで施していた善行や功徳が、後になり実を結び、実利や評判や成果となり自分のところに帰ってくるような意味でも使われるようだ。つまり、人によっては「買わない宝くじは当たらない」とばかりに、せっせと宝くじに種を蒔いたり、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとばかり、あれこれ女性にちょっかいを出している者もいるのが、それも、また「蒔かぬ種は・・」の一面である。
ところが、この言葉の真の意味はそれだけではなさそうである。将来、何かを為そうとする者は、思い立った時、気がついた時、その時に出来ることは、直ちに実行しておくことが大事であるということではないかと思う。つまり、起こり得る予測のもとにかなり前から準備をし、あらゆる場面を想定して布石を打っておくことが大切で、その中の一つでも役に立てば大変な成功である。その準備の有無が成功者に成るかならないかの違いになるのであろう。花は咲かずに実も成らないかも知れないが、そんな結果を恐れずに、思い立ったらせっせと種を蒔いておくことだ。
このようなことは、人間関係の中では特に大切なことで、利害や計算ではなく、その時その時、出会った人達と良い時間や良い思いを共有し、その人達を大切にしておくことは何よりも良い種を蒔いていることになる。いつ何ん時、それらの人達が自分の助けになるかも知れないし、心の支えになってくれるかも知れない。つまり、無欲で、惜しみなく他人に徳を施せる人は、知らずに日々良い種を蒔いていることになり、思わぬ時にその実りや収穫を得られるものだ。
所詮、人間は独りでは生きていけないのだから、周囲の人に心を配り仲良く付き合っていき、そして、自分に出来ることは労を惜しまず尽くすことが出来れば、そんな人は知らず知らずのうちに良い種を蒔いていることになり、期待をしなくても他の人から思いもかけない美しい花や美味しい果実を贈られることだろう。他人に良い思いをさせられないのに、人から多くのものを期待してもかなえられないものであり、周囲に不義理をしていて他人に義理を求めたり、薄情者呼ばわりをすることなどもってのほかである。世間の付き合いや冠婚葬祭などはまさにそのものずばりの結果となって現れる。
議員などという人種にとっては、この事実が正に選挙の当落を決定する最大の要因になるのではないかと思われる。特に、お金もなく組織もなく親類縁者もない私など不相応の議員になれたのは、知らずに蒔いておいた種が、無駄なく芽を出し花をつけたような気がする。
これからは自分の手で肥料を与え、自らも育ち、実をつけ周囲に与えられなければ、直ぐに見放され枯れてしまうかも知れない。そのような立場なのである。

「つれづれ」と「よしなしごと」
2011/09/04

つれづれという言葉は、「徒然」と書くのが正しいのかどうかは知らないが、かの鎌倉時代の随筆の代表作、兼好法師の徒然草はあまりにも有名であり、恐らくこの文字を読めない者はいないであろう。そして、この「つれづれ」(徒然)という意味は「所在無く為すことのない状態」をいうのだそうだ。つまり、何もすることがなく、暇で退屈な状態をいうらしい。兼好は、すでに現役を離れ隠遁生活をしていたので十分暇と時間をもてあましていたのであろう。冒頭に、「徒然なるままに 日暮らし硯に向かいて 心に移りゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば・・・」というくだりから始まり、人の世の無常や日常生活のよしなしごと(つまらぬ事)や雑感を、気の向くまま、兼好独特の軽妙な文体で表現をしている。
私はこの徒然草が結構好きなのだが、現代の我々が読んでも共感を覚えるほど、人間の感情の機微に触れ、心理を分析し、また様々な出来事に対してサビの効いた適格な批評、批判をしており、成る程もっともだと納得させられることが多い。つまり、人の世の営みや人間の感情や考えることは、時代を経たいつの世でもたいした変化もなければ進化もないのである。
出家し、人の世を離れた兼好法師ならずとも、現代のこの世知辛い世の中に生きる我々にとっても、「つれづれなるままに」生活をすることは何とも魅力的であり、そんな生活への憧憬は絶ちがたいものである。
私などは昔から、「暇だ、退屈」だとぼやいているくせに、いざ、あくせくと忙しい生活が続くとそんな生活に嫌気が指し、何もしない生活に限りない憧れを抱いてしまうのである。そのため、徒然草の三六段にあるような「徒然わぶる人は いかなる心ならむ まぎるることなく ただ独りあるのみこそよけれ・・・」というくだりは、もっともな事で、兼好もまた退屈を厭う人が多いが、どういう気なんだろうと言っている。何をする予定もなく、誰にも煩わされることなく独りでいるほうが余程良いのではないかと・・。
私ほどの年齢になると、忙中に閑を求める心のみ多く、あくせく働くのが億劫になってくる。衣食足りて礼節を知るではないが、何も贅沢をしなくても構わないし、名利や名声を望む気持ちも失せ、ただ、自由で気ままな生活をしたいと思うようになる。しかし、これは、どうも歳のせいだけではなく、その人の生まれ持った気質から来ているような気がするのだが・・・。
世情の垢にまみれ、限りない欲望を抱きながらあくせくと日々を送るも人生、自然体で、「アメニモマケズ カゼニモマケズ ・・・ヨクハナク ケシテイカラズ・・」という生活をしても同じ一生である。一日に、玄米三合と味噌と少しの野菜を食べていて不足のなかった宮沢賢治も吉田兼好も本質的に同じ気質の持ち主だったような気がする。
しかし、現代の文明社会の中で、このような生活に憧れ実行することは不可能なことである。家庭を持ち、地域の中で多くの人と関わりを持ちながら生活をしている我々が、ある日、突然、こんなことを言い出したらきっと気が触れたと思われ、もし、実行すれば社会の落伍者というレッテルを貼られてしまうのが落ちである。
こんな「よしなしごと」を考えてる私は、「つれづれなるままに」とはいえ、やはり可笑しいのだろうか・・。


当選の報告
2011/08/20

久々の更新である。
選挙の結果は、2807票という予想を上回る得票で初めて上位14番目という成績で当選することが出来た。応援してくれた方々、票を投じてくれた方々に、ただただ感謝、感謝である。
終了後の当選御礼や印刷物の配布にかなりの時間を取ってしまった。その上、組内の葬儀ができたり身内の祝い事などがかさなり、やっと、一息ついたところである。
非情な選挙結果により、悲喜こもごも、泣く者笑う者様々な人間模様が演じられたことであろう。幸い、私は、何とか首がつながり再び議員として4年間を送ることが出来るが、一方また、有権者が私に投じてくれた1票1票に対する責任や期待、要望の重さも実感している。
ともあれ、暑くて長い長い選挙戦が終わりホットしている。

台風で選挙戦もひと休み
2011/07/19

大型台風6号の接近のため、今日は選挙活動も一時休戦である。
この土曜、日曜に行われた私の町会の盆踊りも、無事、盛況の中に幕を閉じることが出来た。選挙中の祭りということもあり私自身多忙を極めたが、忙中の閑、今年もまた町会長という役得で「柏踊り」の太鼓を叩くことができた。自分が目立つ気はないが、十何年も前から好きで叩いてきた盆太鼓のだから仕方がない。
年に一度の私の楽しみなのだが、力一杯叩いていると全てのストレスが吹き飛んでしまう。娘が幼い頃に耳で聞いて覚えたものである。
選挙戦も回を重ねるごとに支持者や仲間が増え、多くのボランテアのお手伝いの方々が、様々な選挙運動を支えてくれるようになった。そして、地域の中を歩くと、度々、心温まる激励の言葉を頂くことが多い。
しかし、当落については開票するまで分からないのである。何と言っても私の住む地域は、市内でも72投票所の中で、常にワースト10に入り、今年の県議選では、地元の2投票所が26%台前半でワースト5以内に入っているのである。情けないくらいの低投票率で、全く票など読めないし、期待もできない。

昨日は、早朝から「なでしこジャパン」の女子サッカーの中継を見ていたのだが、敗退濃厚な試合が追いつき同点、再逆転負けかと思ったら再び同点、最後にはPK戦でアメリカを破り優勝してしまった。その度に、テレビの前で一人歓声を上げ興奮をしてしまったが、実に「おくゆかしかった、大和なでしこ」大したものである。男子なら逆転負けをするのがオチなのに、彼女たちの粘りには完全に脱帽である。地震、津波、放射能、政治混乱など暗いことばかりが続くわが国では、久々の快挙である。

猛暑の夏に思う!
2011/07/13

記録的な酷暑の続いた昨年にも増して今年もまた暑い夏になりそうである。
昨日は久々に会派の同僚が集まりポスター貼りの分担の話し合いがなされたが、真っ黒に日焼けした顔からは、選挙戦もいよいよこの暑さでは命がけの戦いになりそうであるという思いを持った。
過去の3回の選挙の後では、落選した候補者の2人が癌を発症し亡くなり、一人は自殺をしている。柏の選挙戦は経験したものでなければ分からないが、30度を越す炎天下の中を一日に1万歩以上も歩き回ることがたびたびである。その上、支持者に出馬を報告し支援のお願いをするという、神経を極度に使う4年に一度の会話を強いられるのである。
駅頭の挨拶やポスティングだけで当選するのは、余程の若いイケメンか口先の上手い者だけである。多くの候補者は、ワラジを何足も履き潰すほど歩き回る修験者か伝道僧のような苦役に耐えなければならない。
実行の伴わない格好の良い文句を並べたリーフレットや国会議員や有名政治家の推薦を貰ったような他力本願のチラシで有権者を幻惑するような文書も出回っている。
今の国政同様、その場限りの嘘八白を並べた公約にもうんざりである。市会議員は、嘘を言わず「地域の安心・安全」のために努力し、忠実に実行する人間を選べば良いのである。
柏でも松戸でも焼却灰から高濃度のセシウムが検出され、幼子を持つ若いお母さん達の神経を逆なでをしている。
我が会派からも市長宛に「汚染土壌の除去や放射線量調査の公表」などの要望書が提出された。

偉い人はどんな人
2011/07/06

選挙活動で酷暑の中あちこち歩いていると、懐かしい人たちとの久々の出会いと共に、いろいろな出来事やさまざまな要望や陳情に出っくわすものである。
昨日は、教え子の父兄の家でびっくりするような情報と資料を頂戴した。それはその父親が、医療関係の放射線検査技師という職業柄、福島の原発事故の放射能漏れによるホットスポット問題が報じられて以来の近所の放射線量の定点観測の結果表であった。
最近ではいくつかの地点での放射線量が、連日新聞などにも報道されているが、近隣の高い線量を見た多くの幼な子を持つ母親たちから「行政で何とかならないか・・」という要望や質問が多々寄せられている。
この問題については、乳幼児の有無により心配の度合いにかなり大きな差があるのだが、正に選挙どころか恐怖を伴う最大の関心事になっている。本気で柏から引っ越そうとしている人を何人も知っている。
その父親が観測したデータによると、そんな人が知ったら目を回しそうな高い数値が、この近所でも測定されているのである。4月29日のことであるが、その日以来、徐々に数値は下がっており、着実に時の経過と共に線量は下がり不安が解消されるのではないかと思われる。しかし、地形によってはかなりの高濃度の汚染地帯があることもその方から教えてもらった。

びっくりしたのは、放射能以上に復興担当大臣になったばかりの松本龍氏の言いたい放題の発言である。被災者を愚弄したばかりか、引き合いに出された九州男児もB型人間も、更には議員という立場にいる人間全てが恥ずかしい思いをし、非常な迷惑をこうむったことも事実であろう。こんな非常識な人間が国会議員にいたことだけでも日本国の恥である。この恥は、かつての太郎君の「みぞうゆう」の読み方知らずの騒ぎどころではない。政治家の品位と質の低下を一層国民に暴露する結果となってしまった。
暑さの不快だけでなく、災害対策のお粗末さ、居座り続ける菅政治に対する不快が募るばかりである。

無駄の積み重ねが選挙運動
2011/06/29

選挙のたびに色々なことを考える。
今回で4度目の選挙なのだが、その度に「何故、自分が選挙に出なければならないのか・・」などと、馬鹿なことを考え、出馬そのものにうんざりするのである。しかし、状況は「辞める・・」という無責任な言葉が言える状況ではない事も分かっている。
日常の地域活動を評価してもらえば、無理な選挙運動などしなくても良いのではないかと思うのだが、有権者は、実際、そんなことは関心もなくほとんど知らないのである。
事実、そんな関心もないので、我が近隣の投票所などは、最悪の投票率なのであり、先の県議選などは26%前半で2ヶ所ある投票所が投票率ワースト5位に入っているのである。
このような地域で選挙戦を戦うことは、正に糠に釘、暖簾(のれん)に腕押し、どの様に選挙活動をして良いのか分からないというのが実態である。
元々、選挙運動とは「無駄の積み重ね・・」と言われているように、実力のない私たちはあらゆる可能性のある活動はしなければならないのである。
いよいよ酷暑の夏がやって来た。連日、気力体力を絞って支援者廻りをやっている。 

お人よしの人間不信
2011/06/21

いよいよ選挙戦もたけなわといったところか。
リーフレットも出来上がり、後援会の知人友人のところにお願いに行って驚いたことがある。「・・さんからリーフレットと後援会入会の勧誘がきたよ・・」というものである。それも後援者の何人もから言われたのである。これまで一度も接触もない人からの手紙なので彼らは驚いていたが、私は、ハタと気が付いた。以前・・選挙のとき応援した人間なので、その時渡した推薦文付きの手紙の名簿が勝手に利用されたようである。直接挨拶に来られた家もあるという話も聞いている。
お人良しの私は、散々引き回しをしてやり支援者の紹介や名簿のシールまで渡していたのである。まさかこんなことになろうとは・・と、腹立たしいやら情けないやらいっぺんに人間不信に陥ってしまった。
正に、恩を仇で返すとはこのことである。嫌な世界であり、ヒドイ人間もいたものである。
しかし一方、連日、足を棒にして歩いていると、以前にも増して多くの人たちから心温まる励ましの言葉を頂くことが多い。「後援会だより」の読者や日頃の地域活動などを見ていてくれる人が多くなったようだ。
これからは暑さとの戦いで厳しくなるが、気力体力は動くほどに充実している。
住民からはホットスポットの話題が多いが、不安を煽ることもできず、さりとて「心配は要らない」とも言い切れず、全く困った問題である。放射能と節電が今一番の心配の種である。

目指すものは・・
2011/06/07

梅雨も一休みか、このところ蒸し暑い日が続く。
4年ぶりに選挙の洗礼を受けることになるが、大震災以来、連日の放射能騒ぎと菅内閣の不信任決議や辞任問題などで気の静まる暇がない。その分、市議選などの話題も起こらず、私たちもまた自分の選挙モード切り替えられず、気合が入らないでいる。
リーフレットが出来上がり、私の「市議会だより」の「震災特集号」の印刷も終了したので、今朝は早起きをしてポスティングを開始した。
何人かの知り合いから「山内さんは、今回、選挙に出ないの・・」と聞かれたので、「4期目の出馬を決意!」という挨拶も書いておいた。予定では今期限りのつもりでいたが、まだ遣り残したいくつかの問題もあり、地域に後継者も見つからなかったので支援者達が「辞めてはいけない・・」と言うのである。
すっかり地域の代表であり、代弁者であり、便利屋さんになってしまったようだ。これまで取り組んできた「安心安全な街づくり」が、防犯や防災や交通問題から子ども達の健全育成や高齢者や障害者の快適な居場所作り、いじめや自殺防止、がん対策までと、限りなく広範囲な問題に広がってしまった。
初出馬の時の初心に帰って、真剣に選挙活動をしなければ・・。

春から夏に・・
2011/05/26

福島原発事故の沈静化は全く見通しも立たず、相変わらずの菅首相率いる政府の話と東電の話が食い違って、国民の目には互いに責任逃れとしか写らない。これほど次々と嘘で固めた報告では、何を信じていいのかわからない。
それでも恐ろしいことは、慣れてしまうとあれほど騒いだ放射能問題にもさほどの恐怖心が起こらなくなっており、外出もマスクも気にならなくなってしまった。我が家では、未だ布団を外で干せないでいる。
最近測定した柏市内の放射線量は、関東他市の10倍も線量が高いのに、全く問題にならないでいることも不思議である。

何故か最近になって何かと慌ただしくなってきた。先日はP連の総会で、今日は民生委員児童委員の全員協議会で議長欠席のため挨拶をさせられたが、私には神経を使い苦痛である。
更には、いよいよ議会が近づいてきたせいなのか、8月の選挙の話題が多くなってきたせいなのか、はたまた夏祭りなどの行事予定が具体的になってきたせいなのか分からないが、落ち着かない原因に、東日本の大震災の影響があることも確かである。

今回の柏市議会の任期満了による選挙には、4名減で36名の定数になるというのに、50名もの立候補予定者がいるということである。6月1日に立候補説明会があるのでハッキリするだろう。
私もまた、地元では他にやりたい人もいないし、気力・体力に衰えもないので、これまでの公約実現の集大成のつもりで4期目に挑戦をするつもりである。

いよいよ春の装いから、青葉若葉の新緑が眩しい初夏の訪れである。

再度、被災地へ
2011/05/09

昨日は連休最後なのだが、孫たちの引越しも終わったので急きょ思いたって2回目の支援物資の配送に行ってきた。何日もかかって前回以上の陶器や漆器の梱包をしてあったので前夜に積み込んでおいた。
何といっても被災地東北は遠いので、前回のように一人で運転するのは厳しいため今回は防犯・防災会の仲間を誘っての出発である。
本来なら以前頼まれていた陸前高田市へ行くつもりだったが、電話を入れると「食器類はNPOの団体から大量に送られてきたので結構です・・」と言うのである。ちょっとショックだったが、それなら前回行って喜ばれた東松島市へもう一度持って行ってやろう・・と連絡もせずに出発した。
運転手が2人になったので、朝の6時に出発し、ほとんど休憩無しで交替で運転していったら、10時少し過ぎには到着してしまった。やはり現場のボランテアの若者達は「ありがとうございます・・」と、喜んで受け取ってくれた。同じ品物が沢山あるわけでないのでどのように配ったのか聞いたところ、前回の分は、仮設住宅に移動する人たちに彼らが出来るだけ公平に分けたものを配ったそうである。
帰路は、同行者のために近くの東松島の被災地やお隣の石巻の港付近へ行ってみた。そこには陸に打ち上げられた大型の漁船や1階部分が津波に押し流された豪邸などが沢山残っていた。
女川では原発のある湾内ではほとんど被害のない地域があり、一方、外洋に面した街の中心部などは瓦礫の山が続き、その街中では強烈な悪臭(ものの腐ったような異臭)を放っていた。同じ街中でもこんなに被害が違うのかと驚きであった。
帰路の仙台平野の中を通る高速道路からは、名取市や仙台空港付近では内陸の奥深くまで無数の車などが流されていた。ちょうど一昨日NHKのテレビで見た光景の現場であった。
配給の行列を作る避難所も2箇所通過したが、とても気の毒で立ち寄る気にはなれなかった。何故もっと早く義援金の一部でも被災者にあげられないのか不思議でならない。たまには好きなものでも食べて欲しいと思う。被災地を見ると色々なことを考えさせられる。

浦安の地震被害は・・・
2011/05/06

東日本大震災の後遺症は、福島原発の放射能漏れ事故を筆頭に依然として危機的状態が続き、被災者も一般市民も心休まることがない。

連休に次男が新潟で採集してきたという、スプリングエフェメラルの代表選手、ギフチョウを数頭持ってきたので早速展翅をする。フキノトウが顔を出し、カタクリの花が咲くときだけに現れる美しい春の妖精である。

被災地に物資輸送
2011/04/22

4月17、18日の2日間、岩手県東松島市と気仙沼市まで救援物資を運んできた。  
今回の東日本大震災では、その余りにも悲惨で大きな災害に対し、被災者の方々に心からのお見舞いを申し上げると共に、私にとって何かお役に立てることはないかということから、急きょ救援物資を届けることになったものである。
義援金については既に、町会や議員会を通じて多少の協力はしているのだが、個人として出来ることはないかと考えた末、避難所に暮らす人たちが仮設住宅に移動するときに必要な生活物資を届けたら喜ばれるのではないかと考えたわけである。幸い、私の職業は食器類の販売をしているので、陶器類の在庫が沢山あるので、日常必要となる茶碗や箸や洋皿や和皿、小鉢などを100家族分ぐらいなら充分寄付することが出来ると考えたのである。
そこで、仮設住宅の建設の始まった岩手県、宮城県の被災地を調べ電話をしてみた。多くの市では未だ住宅建設には至らず、僅か陸前高田市が30戸の仮設住宅の入居が終わり、次回の入居が5月10日ごろなのでその頃お願いしたいということであった。
私のほうでも配送の都合があるので更に調べると、ほとんどの町では救援物資の置き場が満杯で先の利用予定の食器までは預かれないということであった。唯一、4月17日が仮設住宅の申し込み受付最終日という東松島市が是非持ってきて欲しいということであった。そこで早速、在庫品から数百点のセトモノ、お箸などを荷造りし車に積み込んだ。陶器の皿類などは重いので総重量は500kg以上になってしまった。
高速を乗り継いで7時間、やっと東松島市に到着。荷物はボランテアセンターを経由し、高校の体育館の物資置き場に荷物を届けたが、手伝いの若者達に大変喜ばれた。その後、物資担当の職員に市役所に案内され、防災課長から次回配達のための証明書を書いてもらう。日曜の夕方6時頃になってしまったが、未だ庁舎内は混乱しており担当課長からも感謝され、雑談の中でいくつかの話を聞くことが出来た。
◎ 死者数775人。不明者は把握できず。避難者7千人以上いたが現在は減りつつあるという。
◎ 津波による災害ゴミ回収には2,3ヶ月以上かかるが、瓦礫、畳、たんす、テレビなど片付けたゴミは順次無料で回収している。
◎ ライフラインは市内全域を復旧中だが、被害の多い地域では復旧に相当の時間がかかるという。
◎ 仮設住宅の対象は、災害により住宅が流失、全壊半壊などで家が無くなった世帯。入居期間は原則2年間で無料。目下、第三次着工で160戸が追加建設中という。
◎ 災害ボランテアの若者が400人ほど来ており、献身的によく働いている。仕事は、主に物資の運搬・仕分け・避難所の支援、個人住宅の片付けなどで、瓦礫の撤去など屋外の仕事は自衛隊の方がやっている。
◎ 日本財団からの弔慰金、見舞金の支給が始まっており、死亡者1人につき5万円。という内容であった。

翌日、南三陸町を経て気仙沼市に向かうが、途中の津波被害の様相は想像を絶する悲惨なものであった。気仙沼市本吉では途上にあった支庁舎に立ち寄り、わずかな時間だが話を伺う。
◎本吉地域内死亡者数48人、行方不明97人。避難者2448人。避難所16箇所。
◎ 仮設住宅50戸は、4月20日から着工予定とのこと。
◎ ライフラインは電気が一部停電、水道は一部地域で通水し、避難所を中心に60箇所で給水している。下水道の処理施設は停止しているので、下水の使用、流出量を減らすよう要請中という。

「被災地を見ての感想」
※今回、通過した被災地は石巻市、南三陸町、気仙沼市など全て目を覆うばかりの惨状で、津波の爪跡は、無数の家屋の残骸や自動車、船などが破壊され瓦礫の山となっている。三陸鉄道なども至る所で寸断されており線路も無くなっている。ただただ無残な姿にショックを受ける。
※全国から来ている自衛隊員が重機を用いて瓦礫の撤去や寸断された道路などの復旧作業をしていたが、復旧、回復にはどれほどの時間と費用がかかるのか・・気の遠くなるような惨状である。日本人の底力、頑張れ東北と応援したい。
※まだまだ行方不明者や死亡者の数は増えていくことと思われ、心が痛みっぱなしであったが、地元や被災者は予想外に元気を取り戻していた。一日も早い復興と津波に強い安心で安全な街づくりをして欲しいと願う。
※今回の大震災では、全国的に義援金や援助物資やボランテア等の人的なサポートなど、「わが国はまだまだ捨てたものではない」という誇らしい気持ちになれた事も事実である。

県議選終わる
2011/04/12

日本列島いかに地震国とはいえ、こう毎日何度も大きな揺れが襲ってきてはたまらない。朝に晩に夜中にと時を構わずいきなり「グラ」とやって来る。さすがに3月11日ほど大きいのは来ないが、昨日、今日と余震とは思えないような強烈な揺れが来た。その度、ひょっとすると更に大きいのが来るのかと、腹をくくるが何故か気が疲れるものだ。震度5以上ががたびたびの被災地付近は一層緊張するのではなかろうか。

大震災のために自粛気味に進められた統一地方選挙も済み、やっと一段落したところである。一昨日の開票時に、最初は6、7位にあり当落を心配した中沢氏も後半追い上げ、見事3着でゴールした。
万が一にも落としたら気の毒だと、持ったこともないもないマイクを持って地元をまわり、最後まで頑張った甲斐もあろうというものだ。
地震が頻発し放射能の心配される不穏な今日この頃ではあるが、自然は今年もまた桜の開花と共に、春爛漫、百花繚乱の季節がめっぐてきた。久々にカメラ片手に郊外の野山を歩いてきた。レンギョウ、ハナモモ、こぶし、もくれん、ツバキ等が未だ見られ、至るところ菜の花の黄色が目に眩しい。
「君がため 春の野に出で若菜摘む・・」とは何を摘んだのだろうと・・ふと思う。江戸川土手のカラシナの菜の花は今が盛り・・。

遅い春がやって来た
2011/04/04

先週末に町会の総会、そして昨日は役員引き継ぎ会が行われた。いつになく出席者が多く公民館の会場に入りきれないくらいであった。
会長としての挨拶の中、東日本大震災のお悔やみとお見舞いの言葉と共に、来月予定されていた恒例の潮干狩りの自粛と被災地への義援金の議題を提案をしたところ、議事の中で全会一致で可決された。
このような折だからこそと、地域の安心安全の為の組織作りと防災意識の自覚を促したところ、ほとんどの人たち真剣に聞いてくれた。「役員は、これまでのように会費の集金や祭りの手伝いだけでなく、災害時には安否確認や連絡など、自分の班や組を守る義務と責任があります・・」というようなお願いをした。災い転じて福ではないが、今年はそんな自覚を持たせることが出来たようである。
毎日、原発問題や震災関係の記事が報じられるが、一方で、県議選のほうも運動の時間が刻々と減っており当落の予測がつかないらしい。私も、今日は3回目の引き回しで支持者の間を候補者と歩いたが、まだまだ関心は薄く選挙のあることも知らない人がいる。
ヒメオドリコソウの紫と菜の花の黄色が美しい季節になってきた。

地震その後
2011/03/25

東北関東大震災が起こってすでに2週間になる。
未曾有の大地震による死者や行方不明者の数は2万7千人を超えた。また、福島第一原発の放射能漏れの報道や毎日何回も起こるかなり強烈な余震に、そして朝令暮改の計画停電の知らせに多くの国民は右往左往している。
連日、テレビで放送される東北の町や村で演じられた災害による悲劇や美談に、涙腺が緩んでしまった私には、この数日間、涙を流さない日はなかった。そして、つくづく日本人であることへの誇りと、とつとつと語るそれら東北の被災者たちの言葉や態度に尊敬の念を抱くばかりであった。まだまだ日本人は捨てたものではない・・という思いである。
一方、迫り来る統一地方選挙の候補者も、選挙運動を自粛し鳴りを潜めざるを得なかったが、昨日、予定通りに知事選などがスタートしたお陰で、4月1日の告示日を控え県議選がリセットされ、再出発である。しかし、何とはなく気が重く気合が入らないことも事実であり、知名度のない新人候補者にとっては選挙運動のブランクは非常に厳しいものになりそうだ。
私もまた、議会終了時に発行する「市議会だより」も早々と紙面を作っては置いたのだが、地震で配布も出来ず一面の挨拶も内容を大幅に変更し、被災者のお悔やみやお見舞いなどの内容に組み込んで作り直すことになった。しかも、放射性物質の飛散している屋外でのポスティングも危険なので、今回、初めて新聞に折り込むことにした。
ガソリンや灯油の心配はなくなったが、水道水に基準値を超える放射能が検出されたということで、今度はペットボトルの飲料水が店頭から消えてしまった。
我が家では4〜50mの深井戸からの地下水なので、小さい孫のいる娘の家に毎日タンクで水を運んでいる。毎日、何が起こるか分からない日が続く。

ノアの箱舟伝説は
2011/03/17

地震の被害は日追ってその数字を増し、死者の数や行方不明の人たちを合わせると1万5千人にもなるという。テレビに映る母親を求め泣き叫ぶ女の子や肉親を探すお年寄りなど、何と悲しく悲惨な光景なのだろう。涙がすぐに溢れそうになる。
避難所には救援物資が届かず暖を取る灯油がなく、冷え切った飲食物にも事欠く様子が映る。
そんな中、配給をもらうために整然と列を作り、一つのおにぎりを分け合って食べる様子に外国の特派員は驚き感嘆しているという。彼らの常識では食べ物を奪い合い、争いあって大騒ぎになるのが普通らしい。
今被災地では、大地震と津波、そして、厳しい避難所暮らしの三重苦だけでなく、福島原発の破壊による放射能の恐怖に脅えなければならない事態なっている。
今朝方、明日の議会最終日のために議会運営委員会で市役所に行ったのだが、この放射能からの避難者が昨夜だけで110人も柏市に助けを求め来ているという。被災者ではないので、車で必要な荷物を持って来ているというが、近隣の市町村でも同様な事態らしい。余り多くの人は受け入れられないので断っているという。

地球は水の惑星と言われ、その水のお陰で生命が誕生し、人も動物も植物も全てその水の恵みによって繁栄し生きていられるのだが、一方、自然は一つ間違うとその命の源が兇器となって、一瞬の間に多くの生命や財産を奪い去ってってしまう。
「一寸先は闇」という言葉に、この自然の気まぐれが入っているとは知らなかった。多くの古代文明も、ある日、突然襲っってきたこの天災、津波によって一瞬に消え去ってしまったのかもしれない。
山の上に残るノアの箱舟の話を思い出した。

巨大地震で学ぶ
2011/03/13

想像を絶する大変な災害が起こってしまった。
そしてまた近隣周辺の全ての人たちが、かつてない命の危険を抱くほどの強烈な地震体験を持った。
一昨日、ちょうど地震が起きた時、議会最終日の最後の質問者が質問をしていたときにその大揺れが始まった。天井から白い天井材の破片が落ちだし、通路に出ると7階から見える目の前の旧庁舎がゆれ、それ以上に自分のいる建物が揺れている。耐震診断の結果、震度6弱で倒壊するはずの旧庁舎だが、今は新築プレハブの別館に移転しており人は居ないので見ていられる。むしろ自分のほうが倒壊してしまうのではないかと、危険を感じるほどの長い強烈な揺れであった。
地震が小康状態になり議会の中断が宣告され、皆帰宅することになった。
家に戻ると、店のウインドウの周りの赤いタイル壁が2箇所4,50センチほど崩落している。その他は家の中が壁掛けや書類や商品などが散乱しているが、さほどの被害はないようだ。
一段落をして、TVを見ていると太平洋側の東北4県を襲った津波による被害がひどい。以来、この2日間以上テレビに釘付けになっていたのだが、地震のニュースは延々と続き、被害の拡大は目を覆うばかりの惨状である。死者の数も1万人を超えるとも言われ、マグニチュードも8・8から9・0と世界最大級になる。阪神淡路地震の17〜8倍のエネルギーの大きさであるという。

携帯も通じないので、翌日早朝から役員を回り、民生員と役員、親子会や防災ボランテアを集め、町会内の被害状況と要援護者の家庭訪問をすることにする。
10時に公民館集合、5班に分かれ民生員の担当者と一緒に2時間ほど地域を回る。人的被害はなく、訴えはそのときの恐怖と心細さくらいであったが、外的被害では屋根瓦の崩落が、30箇所以上あった。
幸いこの周辺は天災の起こりにくい地域であるが、今後、関東地方でも巨大地震の発生が確実視されるので、防災組織の更なる充実や連絡網の見直しなどの必要性を学ぶことが出来た。

通学問題・二題
2011/03/08

代表質問が終わり、今日から個人の一般質問になった。
連日、似通った質問が繰り返されるのだが、それらの一つに旧沼南の「手賀の杜」地域の学校問題がある。
これまで何も無かった手賀沼南部の高台に、造成開発された1650区画の分譲地に学校を作って欲しいという要望の質問である。これまで多くの議員も取り上げ、住民代表のお母さん方の請願もあったものなのだが、教育委員会側は、一時期を過ぎれば児童数が減り学校の統廃合の問題が起きてくるという理由で、近隣の他の小学校への通学を勧めている。ところがこちらの学校も間もなく教室不足になるということで、それなら分校でも良いから団地内に新しい学校を作って欲しいというである。
もっともな事で、私のところにも代表者の奥さんと友達数人が説明に来たので、「今、うちの方では高齢化のため豊四季団地の隣にある柏六小が、入学者が少ないため20人ほどのクラス編成さえ困難な状態に陥っている・・」という話をしてあげたばかりである。閉鎖社会では一時は若年層の人口があっても、子育ての時期が過ぎると年寄りばかりになってしまうという現象が起こることも現実であり、柏市内にもそんな学校が沢山ある。
そこで、私の知る浦安市のように児童数が減ったら、順次、高齢者のための福祉施設に変えていくような学校づくりをしたら・・という提案をした。急なことで財政難の柏市でそんな話が実現するとは思えないが、余裕が出来たら是非とも進めて欲しい施策ではないかと思う。
一方、私の町会では柏二小が満杯になるということで、昨年、学区変更が一方的に行われた。東西に走る東武線の南側は柏二小へ、北側は柏六小へ通学と決められたのである。反対を抑えるためにか、兄や姉が通学している弟妹は二小でも良いということになったものだが、同時に、これからできる新築のマンション住民は学区側の南側でも六小へ行かせるという決定がなされた。
どうもこの問題の最大の理由が、柏六小の児童数の増員にあったようなのである。
そのため、早速、今年完成したマンションの住民が、目の前にある二小ではなく、六小へ入学という通知にびっくり仰天、町会長の私のところに管理人や他の母親と一緒に駆け込んできたのである。線路の北側の児童が踏み切りを渡ってゾロゾロくるのに、逆行してたった一人1年生が反対の六小に通うことになるのである。全く説得する理がないので、私も教育委員会に談判、交渉をしたのだが、未だ良い返事が貰えないでいる。
「無理を通せば 窮屈だ・・」(草枕)という言葉より「無理を通せば 道理が引っ込む・・」とでも思っているのか・・。

特異な議会が開会
2011/02/25

平成23年第1回定例議会が始まった。
いつもの議会初日と違うことは、4月10日の県会議員選挙に立候補を予定している我が会派の中沢裕隆氏とネットの松本寛通氏が初日に辞表を提出し、さわやかな挨拶をして立ち去ったことである。
一方、もう一人の立候補予定者は、3月31日まで議会に残るという。前回、市長選に出た元市会議員の某氏も「みんなの党」の推薦を受け出馬予定といい、民主党から現職と新人の2人、そして自民、公明、市民ネットの現職3人を加えると9人、さらに増え立候補者は10人とも11人とも言う。
8月に敗者復活戦の市議会議員選挙のある柏ならではという感が否めないが、お隣の流山市では定数2名ながら新人の候補者が名乗りを上げず無投票になりそう・・ということだ。
今回、初日の市長の施政方針演説は従来とは異なり、導入された投影機をふんだんに使い、図表やイラスト入りの財政状況の説明は、今流行のプレゼンテーション形式で非常に分かりやすく好感の持てるものであった。原稿棒読みでは眠くなってしまうものだが、全くそんなことはならなかった。
また、今回の議会では、これまで勉強してきた「がん対策基本条例」が初めての議員提出議案として上程される。また、6月にも日野市や秋田市で学んできた「自殺対策」の議員提出の条例も予定されている。
3月と6月の後2回の議会で我々の任期も終わるが、40人いた柏市議会も今議会で34人に減ってしまう。思えばいろいろなことがあったものである。

横須賀軍港めぐり
2011/02/16

「冬来たりなば春遠からじ・・」という言葉通り、立春も過ぎると「梅一輪ほどの暖かさ・・」と、着実に寒さも遠のいているようだ。一昨日の大雪も心配していたほど降らず、昨日、今日の好天気に眩しい白銀の世界もはかなく消え去ってしまった。
今日は絶好の行楽日和に恵まれ、下総基地の自衛隊協力会の主催による海上自衛隊横須賀基地の見学会に参加してきた。
7時に出発し10時には基地内で説明を受け、最新の一隻1500億円といわれるイージス艦を見上げ、詳しくその性能などを聞く。わが国にはこのイージス艦は6隻あり、その1隻という。港の向かい側には日本の3隻の潜水艦、米軍のイージス艦2隻や原子力空母のジョージワシントンが停泊している(こちらは積んである戦闘機を含めると1兆円になると言う)。また、昨年までインド洋に行っていた給油艦やアラビア海の海賊船から守るための護衛艦、哨戒艦や機雷除去のための船体が木造の捜海艦や潜水艦救助艦などという特殊な艦艇などもある。まるで近代ハイテク軍艦の展示場である。
「たかなみ」という護衛艦内に案内され、その装備されている様々な武器の説明や防御システムなどの説明を受ける。全て攻撃のためのものではなく、いかに艦艇や国土を守るための装備であるかを聞くが、専守防衛の困難さ、曖昧さを知る。
昼は隊の食堂で1食378円という昼食を隊員と共に食べるが、まあまあのモノであった。
食後、軍港めぐりの遊覧船に乗り、海上から横須賀基地や米軍基地、長浦港などに停泊するあらゆる艦船を見る。好天のため暖かく最高の遊覧であった。
その後、徒歩で三笠公園に行き、「坂の上の雲」で今、人気の戦艦「三笠」を見学してきた。そこにはひと昔前の連合艦隊の旗艦「三笠」が当時のままの姿で保存されており、見てきたばかりの最新鋭のイージス艦との間には埋めがたいギャップがあったが、こちらのほうがよほど人間的な臭いのする温かみのある軍艦であった。内部にはこれまで何度も読んだ、「坂の上の雲」に出てくる山本権兵衛や東郷平八郎、秋山真之や広瀬武夫などのほか多くの明治期の人たちの写真や様々な資料が展示されていた。
とても時間が足りなかったが、野次馬的な気持ちで参加した割りには、私にとって非常に有意義な1日であった。

視察報告
2011/02/09

先週は個人視察で九州の3市を訪問した。この時期は行事も少なく、議員としても一番暇な時期でもあるので、会派の視察や個人的に仲間同士での視察に行くことが多い。今回は私の企画で、会派の有志6名が以下の都市を視察してきた。視察項目は次のようなものであった。 
熊本市・・・熊本シティ・ブランドについて
大牟田市・・認知症ケアコミュニテイについて
鳥栖市・・・青少年健全育成「夢プラン21」について
報告書作成のつもりで記すと
1、熊本市 
 都市の活力を維持、向上させるための取り組みの一つとして、近年、熊本では「都市ブランド」を全国に発信し、注目を集めている。発端は、市が実施したアンケートの結果、関東・関西地域では、熊本の名前さえ知らない人が60%もあり、知っている人の中でも「熊本城、阿蘇山、馬刺し・・」くらいのことしか知らないということからスタートしたものである。
 そして、熊本には多くの素晴らしい自然や歴史や文化遺産などの観光資源を有しながら、それらを有効に活用していないという反省と、無形の特長「人と人とのふれあい」や「温かなもてなし」などの他市との差別化を宣伝することとで都市としての総合力を見直すなどの事業を産官学協同で取り組んでいる。
 我々もまた、柏市のブランドイメージとして柏レイソルのほかに何があるのか、今後取り組むべき課題として多くの人と議論を重ね、柏市でも「都市ブランド」の発信をしていきたいものである。

2、大牟田市・・講師:汐待律子(地区社協会長)、
 2日目は、午前・午後と2度にわたり現地視察と市役所の講義を受けてきた「地域認知症ケアコミュニテイ」は、高齢化率の特に高い地区での「高齢化社会の取り組みや対策」と、「認知症の徘徊不明者の捜査ネットワークシステム」についての話を伺う。
地域に暮らす人たちが、高齢者をサポートし、徘徊者の発見と保護をするために始めた取り組みなのだが、大牟田市ではこの地域から始まった事業を全市的な取り組みとして、「ホット安心(徘徊)ネットワーク」システムとして確立した。そして、年間行事として全市的に地域毎に「徘徊者救護訓練」を実施。市民団体、商店会、学校やPTAなどの参加協力の下に実施している。
そのシステムは、徘徊者が出ると直ぐに各登録団体の長にファックスが送られ、それらの責任者は即座に自分の下部会員に一斉に知らせるというもの。すると市民の多くにその情報が共有されるので、速やかに自分の住む周辺の危険箇所のチェックや捜索活動に協力が出来るという。これも、繰り返しの訓練により「呼びかけ」「確認」「保護」が可能となるという。毎年の模擬訓練には参加者が急増し、注目を集め周辺市からの視察参加者も多数集まっているという。
これらの取り組みについては、人口40万人の柏市では全市的に実施することは困難ではないかと思われるが、私の町会で取り組んでいる「安心・安全のまちづくり」「防犯・防災対策」の一環として取り入れることは可能であり、今後持ち帰って検討をしてみたいと思う。

雪国の視察
2011/01/22

今週は月曜から会派の視察で、東北3県へ行ってきた。この寒い時期に、何も雪国に行かなくても良いようなものだが、視察項目で選んだ場所なので仕方がない。
ところが上野駅に着くや、新幹線がポイント故障とかで動かないというハプニングが起った。誰もが雪のせいかと口には出さなかったが、内心、不吉な予感を抱いたものである。しかし、待つこと1時間半ほど、何とか多少の遅れで青森の十和田市役所に到着する。
天気は晴朗、街中まで続く道路の脇に積み上げられた雪の山に北国の冬を見る。めったに雪の降らない私たちにとっては、情緒のある味わい深い雪景色であった。
翌日の盛岡市でも同様の雪景色であった。雪に覆われた石割桜や石川啄木の「不来方(こずかた)の お城の草に 寝転んで 空にすわれし 十五のこころ」と詠んだ城山を見ながら市役所に向かう。そこでは、自転車対策の講習を受け、街中の自転車専用道路・ブルーレーンを見る。道路の狭い柏市では難しそうである。
その日の午後には秋田市に向かうが、奥羽山脈を過ぎた辺りからは、晴天が一転し吹雪になる。予報通りの降雪に、やっと日本海側の冬の気候を体験する。やはり雪国には冬来るものだ・・などと考えながら、新幹線の窓にへばりついて外の景色を眺める。
ところが期待に反し、到着した秋田市内には、余り雪がないのである。日本海側も南部のほうが雪が多いそうである。

秋田市では、自殺対策についての取り組みについて話を聞いてきた。
秋田県は日本一の自殺率の高い県ということで、一昨年から様々な施策を実施している。柏市もまた、年間7〜80人の人が自殺をしており、秋田市同様、40代、50代の男性が多いということである。原因はやはり健康問題と経済問題が一番多く、最近の不況の影響も多いようである。
先日も会派の仲間と他会派の数人で、日野市の自殺対策のシンポジュームに参加してきたばかりである。目下、議員提出の自殺対策条例を作ろうと勉強中である。
県議選候補も決まり、再び選挙モードに切り替えである。

ショックな初夢
2011/01/14

今年の初夢は己の現実を知る情けないものであった。
何時になっても多くの大人たちが見る夢の中に、ずいぶん昔なのに学生時代の試験の夢を見ることがある。
私もかつて塾で勉強を教えている頃には、解けない難解な数学の問題を夢の中で解いたことがあるくらい頭が冴えていた時期もあるのだが、つい先日見た夢は、定期試験で国語の長文の問題を説こうとしているのに全く解けない夢であった。
その夢の中には、得意な国語の問題なのにいくら読んでもその文章の内容が理解出来ず焦ってしまっている自分がいるのである。読んでいる後から問題の内容を忘れちっとも頭に入らないのである。
ついに私もボケがきてしまったのかと非常にショックを受け、とても議員などやっていられないと夢の中で情けない思いをしている夢なのである。
確かに最近は読書の量も減り、内容も易しい歴史小説や自然科学系のものくらいしか読まなくなってしまっっている。恐らく脳細胞が破壊されてきているのかもしれないと、うすうす危惧していた現実を再認識する初夢であった。
日々、目の前の雑事に追われ、考えることが少なくなっていることや、己の年齢を自覚するとともに日常の生活を反省することしきりであった。

議員の末路は
2011/01/07

遅い新年のご挨拶になりましたが、明けましておめでとうございます。
何時になくのんびりした年末・年始を過ごしたせいか、パソコンに向き合うこともなく、年末は掃除や料理の手伝いや孫との付き合い、そして、心配された正月も、何とか我が家の家族全員が顔を合わせ新年を賑やかに過ごすことができた。子供たちも、それぞれの家庭が、雑事で忙しくなり、兄弟姉妹が揃うこともめったになくなってしまった。
日本海側の豪雪にもかかわらず、こちらは連日の快晴で、正月の2,3日は箱根マラソンに釘付けになり、我らが母校・早稲田の18年ぶりの総合優勝に歓喜する。ここのところ絶好調のワセダである。

昨日は、各会派の代表者会議があり、議員年金破綻についての報告と対応についての話し合いがあり、夕方からは恒例の商工会議所主催による「賀詞交換会」があった。
政府主導による平成の大合併により、市町村の数と議員数の激減に伴う受給者の急増により、今年の6月には年金受給者に支給する原資が枯渇するという。
議員数が6万人から3・4万人に減る一方、受給者は9・1万人に増え、1人の議員が3人のOBを支えることになってしまった。
そのため議員年金は破綻し、精算金として現役の議員は積み立てた額の49〜64%の一時金を支給するというものである。そしてその金額も市町村が一時負担をし、後に交付金として後日、国が支払うというものである。また、受給者の支給は、ストップも出来ないので減額し、政府ではなく市町村が肩代わりをするというものである。
そんな説明に会派代表からも政府への非難轟々、以前からそんな説明があったが、冗談ではない、毎月、9万数千円もの共済掛金を強制的に天引きされ、三期12年では1千3、4百万円近くもの金額を積んでいるのだ。これも引退後、老後の憂いをなくすためのものなので文句も言わず払っていたものである。退職金もなく何の保証もない議員の最低限の身分保障の積み立てだったのである。
今では国会議員でさえ議員年金の廃止により、1,2割の人が落選と同時に生活保護を受けるそうである。
こんな状態ではとても若い人たちに政治の道を志すことなど勧められないし、娘を嫁にもやれない職業になってしまう。
未だ、最終的な結論は出ていないが、何とか80%くらいの一時金の還付が受けられそうになったそうである。
お正月早々、情けない議員の末路と実態である

歳末雑感
2010/12/27

年の瀬も迫り激動の平成22年も間もなく終わる。
過ぎてしまうと正に光陰矢の如く、歳月人を待つことなく一年が過ぎてしまった。
先の夢や希望のあった若い頃とは違い、自分のことであれこれ悩むことも少なくなり、この日本の将来や地域のことや自分の孫達の未来はどうなるのだろうかといったことを考えるようになる。「後は野となれ山となれ・・」といった心境にはとてもなれないで、日々のニュースを聞いては心を痛めている。

一昨日、町会では親子会と一緒に歳末の「火の用心」のパトロールを実施した。総勢6,70名の親子が3コースに分かれ1時間ほど町会内を「火の用心・・」「火の元、戸締りご用心・・」と、数年前に私の作った文句を合唱しながら拍子木を打ち鳴らし歩くのである。今年は、私の孫たちも遊びに来ていたので一緒に歩くことが出来、尚のこと幸いだった。
私もまた子供の頃、田舎の寒空の下で何度かこんな経験したことがあり、とても懐かしく、当時のことを鮮明に覚えている。そんな思い出を今の子供達にも是非とも体験させてやりたと始めたパトロールなのである。終わった後には、温かい豚汁とおにぎりが配られ、親子のふれ合いと絆をお土産に子供たちは大満足で帰っていった。
近隣センターの新年号の広報誌で、各町会長に「自分の町会について31文字以内で紹介文を書いてくれ」という依頼があった。余りに短くて書きようがないので私は、川柳で「カラオケや グランドゴルフで 地域の輪 安全・安心 街づくり」(豊四季町会)と、書いて出した。ここにボケ防止の脳トレの健康麻雀が入れば完璧なのだが・・。
地元先輩議員の長谷川先生が、今月12日、急逝した。91歳。前夜まで健康で好きな酒を飲んでの大往生であった。昔から何かとお世話になったが、お人柄通りの羨ましい幕引きである。

初登壇
2010/12/08

いよいよ一般質問も明日で最終日を迎えることになった。今日は、私が議長の代わりに初めて議長席に座り議会を仕切ることになった。
本来は、6月議会で登壇するはずであったが、私が副議長になった際に不当なクレームを付けられたので、一回見送られていたものである。その後、再度、市民課の調査のご足労をお掛けすることになったが、何ら問題がないということになったものである。
しかし、何があるか分からないということで、今議会での登壇にも否応なく神経を使うことになった。しかし、初登壇ということ以上に緊張していたものだが、何事もなく粛々と午前中の議会で議長代理の職務が完了した。
多くの議員は、委員長や議長などの役職を望んでいるようだが、私などはその職務の面倒さや神経を使うことを考えると、役職など決して望むものではないと思うのだが、こんなことを言うと仲間からいつも怒られるのである。

忘年会シーズン到来。明日から4連荘なのだが、腹も身のうち・・、暴飲暴食、健康には気をつけなければ・・。
幸い、最近やった健康診断で、はたいした心配もないらしいことが分かり一と安心したところである。


何が起こるか分からない
2010/12/01

先月末には恒例の後援会日帰り旅行も終わり、やっと一段落である。その朝、鈴木良紀氏に代わり県会議員選挙の候補者となった我が会派の中沢裕隆氏を私の支援者に紹介する。
11月を振り返ると、ふるさと協議会の文化祭から始まり、酒井根東小、旭東小、松葉小などの30周年の記念式典やP連の研究協議会のほか、緑の基金の中間監査や日野市の自殺対策のシンポジウムと会派のがん対策の勉強会など、結構、多忙なスケジュールが続いた。
その合間を縫って、町会のサークルのカラオケやグランドゴルフに参加をし、昨日はホールインワンを初めてやり、麻雀ではこれもまた初めての字一色の親の倍満を完成するという快挙を成し遂げた。それまで全くツイてなかったのに、この世の中一体何が起こる分からないことを実感する。
注目していた米軍との軍事演習中に再度起こるかと思われていた、気まぐれな北朝鮮の挑発行為は、結局、何も起こらなかった。馬鹿な国でも空騒ぎだけでそれ以上のバカはできないのであろう。
しかし、私たちもこんな国の隣に住んでいるのだから、何が起こるかわからないということを肝に銘じ、日本政府もしっかり防衛を考えて欲しいものだ。 
いよいよ今日から師走、議会質問も明日から始まる。

PTA時代のこと
2010/11/18

柏市P連の研究協議会に出席してきた。
P連会長から「市長も議長も出席できないので、副議長さん出席してくれませんか・・」と電話での依頼があり、即諾し、来賓としてひとりアミューゼ柏に行ったものである。後から市の議会事務局からの連絡もあったが、PTAのことならと気軽に受けてしまった訳である。
いつもは事務局の説明書が来るのだが、今回は内容が分からないまま、勝手に研究協議会の内容を解釈し筋書きを考え当日を迎えた。
最近、周年行事への招待が多く、20数年前のPTA時代を思い出すことが多いのだが、当時の自分の思いなどを話す方が良いのではないかと、簡単に自分なりの「ボランテアの心構え」のような持論を披露することにした。
挨拶は漢字を「ム矢みに多くを語らず」と覚えたように、3分以内に終わらせることにした。議長欠席のための原稿の代読とは異なり結構神経を使うものだ。

若い父母たちを見ると柏二小の100周年時代のことや豊四季中時代の自分の姿を思い出すことしきりである。あの頃は無我夢中で走り回っていたものだ。
今年は創立30周年の学校が6校あり、残りはあと1校になってしまった。新設校1校を開設だけでも莫大な費用が掛るのに驚いてしまう。
当時、柏市の人口は24万人ほどで、その3割は中学生以下の子供だったということであり、若く活気に溢れる柏市であった。PTAをやる少し前のことである。

日本は沈没か・・
2010/11/10

尖閣諸島の中国漁船のわが国の警備艇への当て逃げ事件を証明するビデオが流失したとして、民主党政府が機密漏えい事件として犯人探しを開始した事が報じられたが、今日昼過ぎ、海上保安庁保安官が自首してきたというニュースが入ってきた。
国民の大多数が、何故、こんな悪質なビデオを隠してきたのかと腹立たしい思いでそのビデオを見ていたはずである。更に情報によると、ニュースに報じられない編集前のビデオにはもっとひどい状況の映像が写っている言う話を聞いたばかりである。
そんな事情を知っている犯人(当事者)の止むに止まれぬ行為を、国民に即座に公開すべき映像を隠した政府が、機密漏えい罪事件として「英雄的行為者」を逮捕することはないだろう。
更には、ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問や「自国領土だから何の問題もない・・」という発言などには歯軋りをする思いである。
わが国の客観的な公平公正な歴史を知る者にとっては我慢のならない我が国土への侵略行為である。
しかし一方、中国やロシア(韓国も同様)では、幼少時から正反対の教育をされているのだから反日運動が起こるのも仕方がないのかも知れないが、独裁国家の身勝手な主張や都合の良い国民教育は実に困った問題である。これでは隣国でも永久に親しくなれないではないか。
「戦争に負けるということはそんなものだから・・」といった諦め世代の人間、何も知らない平和な時代の育った若者世代にはその悔しさも分からないのかも知れないが、戦後の目ざましい復興や日本国民の能力、勤勉さ、プライドなど古きよき時代を知る我々の世代にとっては我慢のならないことなのである。
国会中継を見ながら、このままでは日本が外交、国防、国家財政、経済、あらゆる面で本当に沈没してしまうのではないかと危惧するばかりである。

つまらぬ事で周囲がうるさいのでホームページの更新を止めようと思っているのだが、たまには自己主張をしたい衝動に駆られる。

視察と防災訓練
2010/10/23

連日、奄美大島での集中豪雨による被害が報じられている。何時まで続くのかと心配した夏日も終わり、やっと秋らしい涼しい気候になってきた。
私のほうは、先週の後半から今週一杯にかけて目の回るような忙しさであった。
14日から東葛6市連絡協議会で、議長と共に松本市の視察(議会運営と博物館運営)があり、17日には第22回「新富ふるさと協議会」の運動会、18日から3日間は会派視察で呉市(ジェネリック医薬品)、姫路市(防災)、神戸市(中央市場)の視察、そして今日の土曜日は、地元の防災訓練といった具合である。
その間、暇を見つけては自分の新聞の配布をしており、未だ半分くらいしか配布が済んでいない。
お陰で折角立ち上げたグランドゴルフの会の練習にも一度も参加できないでいる。健康麻雀クラブもカラオケ同好会も発足2ヶ月を過ぎたが多くのお年寄りや町会員が楽しんでいる。
今日の防災訓練も第5回を数え、班長さんなど100人ほどの町会役員の方が参加し、消防署と消防団の協力のもとに様々な講習や実習体験をした。着々と備品・防災用品も揃い、参加者は避難場所や井戸水の確保などの様子を知り安心して帰宅していった。何時起こるかもしれない天災の準備が多少とも出来ているというだけで、いざというときの混乱は避けられるのではないかと思う。先の姫路視察では最新の防災の取り組みを見を見て来たばかりである。
いろいろ学んだことを是非とも地域で活用したいものである。

秋きぬと・・
2010/10/04

議会終了後のこの数日間は、連日、多忙を極める毎日であった。
議長と共に開校記念式典やキャムデンの高校生の歓迎会、自衛消防隊協議会や下総基地の記念式典、そして、近隣市への挨拶回りなどのほかに、地元の運動広場の開設の準備など、副議長としての公務だけでなく町会長としての仕事が重なってしまったためである。
その上、自分の「市議会だより」の製作もあったりして、頭の切り替えにのん気な私は四苦八苦であった。
一昨日、近隣町会チームを招待した運動広場のオープニング記念のグランドゴルフ大会も無事終わり、今日は、その記事を載せた新聞も完成した。スケジュールの合間を見て配布が始まる。
依然、天候は落ち着かないが、秋きぬと目にはさやかに見えねども・・着実に秋の訪れが感じられる今日この頃である。 

久々の朗報
2010/09/21

民主党の代表選挙や菅・小沢の勢力争いに国政が翻弄されている間に、経済界を震撼させた円高や株安そして日銀の介入と・・。名護市の選挙結果は普天間基地の移設問題を更に難しくし、そんな日米の足元を見てか、中国の領海侵犯漁船の船長を釈放しろと国を挙げて無理難題の要求で民衆の反日感情を炊きつける。
こんな隣国の横暴にイライラは募るばかりで、わが国の安心安全はどうなってしまうのだろうと、再び、中国嫌いが昂じそうである。
酷暑の夏からそんな不快な日の続くこのごろではあるが、昨日の招待を受けた近所の敬老会で久々に嬉しいことがあった。知人の老父夫妻から「孫が、学校に塾長が来てくれたのでとても嬉しかった・・」とわざわざ報告に来てくれたと言うのである。
風早南部小学校の新校舎の式典で久々のご対面をしたところである。一昨年新任で配属になったことは聞いていたが、6年生を担任しイベントの太鼓の生徒達を統括していた。小・中学生のころから生徒会をやっていたが、元気ではつらつしていた昔の姿を思い出した。私の副議長就任の祝いを言われ、私もまた立派になった教え子の姿に感激であった。
来月はまた、卒業生の結婚式に招待をされている。

天災と人災
2010/08/30

暑さも一段落かと思ったらとんでもない、相変わらず連日、全国的に35℃以上の猛暑日が続く。さしずめ今年の夏は、宮沢賢治が「アメニモマケズ」で書いている「ヒデリノトキハナ ミダヲナガシ・・」と言った干害の年になるのではないかと思う。
3、4日も留守にし、庭の草花や家庭菜園作物も水撒きを欠かすとたちまち枯れてしまうほど日差しは強烈である。
私がショックだったことは、この夕立一つ降らない日照りの最大の被害者が、実は物言わぬ生き物達であったことである。昨年、干あっがってしまいそうな「おおたかの森」の奥にある池の水溜りから、大きい池の方に移動してやったメダカたちが、今年は池の全てが干あがってしまい全滅してしまったのである。メダカと思って飼っていたらクチボソになった例の小魚たちである。
1週間ほど前には、小さい池になり十数匹の小魚をアミですくって来たのだが、今日、久しぶりに訪れると全く水が無くなり泥のみになっていた。辛うじてザリガニの大型のものだけが生き残り穴からハサミを出していたので10匹ほど捕まえ大堀川に放してやった。
水脈も無い水溜りの池にどうして魚が住み付いたのか不思議であったが、来年はどうなるのであろうか。
こんな異常気象に私たちの見えないところで小動物たちの被害は相当なものになるのであろう。
家の近くで最後に残った森が、今日から無残にも伐採が始められた。近所にできた住宅地同様に開発され、また建売が建つらしい。
一つの森には、どれほど多くの植物や昆虫や小動物たちが住み付いているか知れない。これは正に彼らにとって天災以上に残酷なジェノサイドであり、抗議なき人災である。

老人受難の時代到来か
2010/08/21

連日のように高齢者の悲報が紙面をにぎわしている。
報道によると、100歳以上の不明高齢者は全国に242人居るとあった。現在、多くの自治体では100歳以上の高齢者の確認調査をしているところなので、その数はまだまだ増加し、悲惨なニュースが流れそうである。
一昨日、9月議会の議案説明会の席で柏市の実情を聞いたところ、市内には100歳以上のお年寄りが102人居ると言い、全員の所在確認が取れたそうである。やれやれである。
しかし、もっと年齢を引き下げ調査対象を広げれば相当数の不明者が出てくるものと思われるが、わが国には90歳以上の高齢者で約130万人、75歳以上にすると約1370万人(人口の約1割)にもなるので調査は不能であるという。しかし、ろくな所在確認もせずに年金が支給されることを考えれば、多少の費用をかけてもしっかりとした確認システムを構築すべきではないかと思う。
遂に幼児虐待に次いで老人虐待も表面化してきたようである。幼・老どちらも粗末にはできない「国の宝」であり、人口減少の折、わが国では大切なマンパワーの所有者なのである。
こんな世相、弱者が粗末にされ生き難い世の中を何とかしなくては。
私見ではあるが、町会や自治会が中心になり、しっかりした地域社会を造り上げていくことにより僅かな光明が見出せそうである。
今、私の町会では「高齢者の居場所」作りのために、様々なサークル活動を開始したところである。先月から「カラオケ同好会」、「健康麻雀クラブ」がスタートし、現在、「グランドゴルフの会」の準備中である。厳しい暑さも峠を越えたようだ。

原爆の日に思う
2010/08/09

相変わらず暑い日が続く。広島、長崎の原爆の日も65回を数え、初めて米・英・仏が出席したと報じられるが、今日米国は欠席、まだまだ足並みは揃わないようである。
原爆投下による終戦は正義であるというアメリカの主張には、私は納得していない。どんな理由をつけても非戦闘員である日本国民を無差別に空襲や原爆で殺戮してもいいという米国の理屈は許されないし、その悲惨さ残酷さを知るべきである。
更に先週、下総基地特別委員会で視察に行った小松市の宿泊先のホテルに置いてあった「誰も言えない国家論」という本によると、満州事変の発端になった、張作霖の爆殺事件はソ連による謀略であったという新資料がロシアの作家や英国の資料で明らかにされたとい事が書いてあった。
東京裁判についてもいろいろな主張や諸説があるが、日本人はそれを鵜呑みにし、決して自虐的になることは無いということである。
人類の平和が保証されるなら核や軍備はいらないはずであるが、実際はそうではないのでわが国も国防が必要なのであり米軍の基地が必要なのである。
小松基地で見てきた戦闘機のF15の値段は,1機100億円という。余りに窮屈で狭い操縦席には驚いたが、燃料を満タンに積むとドラム缶が70本も入るが航続距離は4〜500kmという燃費の悪いものである。正に無駄の塊であるが、小松基地では連日のように40機のF15がスクランブル発信をしているということであった。

昨日、昔の塾の教え子が結婚式に出てくれないかと尋ねてきた。30歳、今、早稲田を出てNHKに勤めているという。嬉しいことに「塾で伊豆七島やキャンプや魚釣りに行ったことや昆虫採集などを教えてもらったことが、今の自分の原点になっているようです・・」というようなことを言っていた。しばし昔に返った懐かしい一と時であった。

ジャコウアゲハの危機
2010/07/26

世界的な異常気象のせいなのか、連日、日本列島では至る所炎熱地獄が続く。
そんな中、先週末には議員野球の練習があり、久々に身体を酷使し自分の体力の衰えを再認識したところである。
流行の熱中症にならないようにとペットボトルの水を飲みのみ、柔軟体操やキャッチボール、 市役所の野球部の方々の協力で打撃練習や守備の練習をしたのだが、投げればピッチャーにワンバウンド、肩には痛みが走り、打ってもめったにいい当たりは出ない。走れない、打てない、エラーの連続である。こんなはずではなかったのにというのは、若手議員の数人を除き、ほとんどの人たちの感想である。
この秋には他市との親善試合があるというので、あと1,2回練習をするというが、私などは応援のみにしようと決め込む。
つい最近もやってみたのだが、逆立ちも得意の鉄棒も逆上がりくらいしか出来なくなってしまった。しかし、久々に大汗をかいてスポーツをすることは気持ちの良いものであった。

我が家の毛虫たちが繁茂していたウマノスズクサを食いつくし、40匹もの幼虫が餓死寸前である。このムシの悪いことは、もう直ぐ蛹になろうという終齢幼虫の最後に、これまで食べていた食草の茎を食いち切ってしまうのである。不思議なというより恐ろしい習性なのだが、自分だけが生き残り、仲間たちは餓死させてしまうつもりらしい。交尾をした蝶のお尻を粘液で塞いでしまうチョウの雄もいるのだが、虫の世界も人間世界同様に、独りよがりで自分だけ良ければという者もいるようである。
幸い、隣の町会の知合いの庭にはジャングルになるほどのウマノスズクサが繁茂しているので分けてもらいに行った。
こちらでは今年は全くジャコウアゲハが来ないらしく、「いくらでもあるからどうぞと」と、沢山の食草の枝を切ってくれた。バケツに大量に食草を挿し、あちこちから集めた瀕死の幼虫達を移動してあげる。4,5日はもつので枯れたらまたもらえば良い。この方は専門がランというが、「ヤドリギの種を木肌に埋め込んだら着床した・・」と私に見せてくれたが、私同様趣味が変わっている。


 

今年もたたいた「かしわ踊り」
2010/07/20

今年の4月、豊四季町会長に就任して以来の最大の行事、「豊四季まつり」が何とか無事に終えることができた。
町会では10年間も会計と書記の仕事をやってきたので、全ての行事に精通はしているのだが、自分が責任者となると話は別である。天気のことや、お客・来場者数や招待者の祝い「花」の上がりなど、そして親子会や地元青年部、踊り子の会など各種団体の役割分担や協力体制などなど、気掛かりなことは尽きない。
その上今年は、会場脇の住人からうるさいなどとのクレームも出たので、模擬店コーナーと本部席を入れ替えるなど大幅に会場の配置換えをし、住宅側の騒音防止にも気を配る。年1回のことなのだが、苦痛を感じる人への対応も必要と役員会を開き直ちに変更する。責任者ともなると、いつの間にか周囲のなだめ役になっている。
幸い、天気にも恵まれ連日千人以上の人々が集まり、老いも若きも男も女こどもも、飲んで食べて踊って、昔ながらの炭坑節や京北音頭やかしわ踊りに汗を流す。
祭りのクライマックスは、広い会場が満杯になる2日目最後の抽選会である。各所帯に1枚ずつ配布の抽選券片手に、固唾を呑んで当選番号を聞くという光景は恒例になっている。特賞が自転車2台、1等・扇風機5台、2等・レジャークーラー20本等、その他5等まで約200本が当たるという豪勢なものである。
これまで何回と無くこんな祭りや盆踊りをやってきたのだが、私の唯一の楽しみであり役得は、最後に1曲だけ好きな「かしわ踊り」の曲で太鼓を叩くことなのである。今年は止めようと思っていたのだが、結局、誘惑に負けドサクサに紛れて櫓に登りやってしまった。娘の幼い頃、自己流で聴き習った「ドドンガドン・カラカッカ」のリズムで・・・。私は幼い頃から祭りが大好きなのである。
全国的に連日35度を越す暑い暑い夏到来。
今日20日は、下総基地特別委員会。明後日22日は、建設経済委員会。どちらも面倒な問題を抱えている不定期召集の委員会である。


負けてもひと安心
2010/07/12

民主惨敗、みんなの党10議席、悲喜こもごも参院選の最終結果が出た。
私の応援した地方区、比例区の両候補は落選し、桜田氏落選の衆院選以来、市長選の海老原氏についで4候補が落ち、目下、4連敗中である。
しかし、民主党が過半数を割り込んだことには快哉を叫びたい。複数区に2人の候補者を立てるなど、思い上がりもはなはだしかったが、国民もそれほどバカではなかった。
バラマキでは日本国の財政破綻を危ぶみ、普天間では国防を憂い、外国人参政権付与では市町村の危機を案じる・・と数え上げてゆけば不安だらけの政権だったのでまずまずひと安心をしたところである。
こんな結果が分かっていれば、多くのベテラン議員が国を憂いて新党を結成などしなかったものを・・と悔やまれる。同郷の渡辺善美氏の「みんなの党」の躍進も歴史的な快挙である。
私の気持ちは、どの政党でも良いのだが、本当にわが日本国の平和と国民の生活を安全・安心に導いてくれればよいことで、これは、私たち市会議員が地域の安全と平和を願うこと、一家の主が自分の家庭の幸せを願うことと本質的には同じことなのである。

今朝ほど、我が家のカブトムシが一斉に羽化し10匹以上もの成虫が飼育鉢の中で動き出した。飼育して3代目の虫たちである。今年は孫もいないので、皆、自然に戻してやろうと思う。
一寸の虫にも五分の魂があるというのだから・・。


参院選も佳境に
2010/07/05

うっとおしい梅雨空と酷暑の中、参院選も佳境に入っっている。
連日、各政党の候補者の街宣車が街を走り、柏駅前には日替わりで各党の売れっ子政治家の先生方が千葉県選出の候補者の応援に来ている。
私もまた、駆り出されて朝の駅頭や夕方の街頭演説会の応援に出かけたり、ナビゲーターとして街宣車に乗って候補者と一緒に自分のエリアの案内などをしている。
そしてつくづく思うことは、何と手ごたえのない選挙戦をやっているのだろういうことである。確かに党派間の政策論争や批判合戦などはマスコミを通じて耳に入ってきてはいるが、実際の選挙では地元出身でもなければ参院選の候補者の顔もしらないし、知名度などもほとんどない、というのが現実である。地域に密着もしていない候補者に、誰が暑い中、義理立てして投票に行くのかと疑問に思ってしまう。
特に、全国区の比例区候補者などは広報看板にも載っていないのである。そのため私は、昨日街宣車に乗った際「地元の山内議員に応援を頂いている臼井正人です・・」という言い方をしなければ、ほとんど票にならないのではないかと言ってあげた。そうすれば多少なりとも名前もインプットされるのではないかとも本人に言ってやった。
すると、何人もの私の支援者が顔を出してくれたので候補者は喜んでいた。
しかし、こんな選挙は全国区の選挙ではないので、柏の駅前で顔を売った方が票が増えるのではないかとも言ってやったのだが・・。
候補者自身もこんな選挙で目標の20万票も出るのだろうかと不安がっていたが、正に訳のわからないのがこのような大きな選挙なのである。お金もどれだけ掛るのか、気の遠くなるような数字なのだろう。
自分の選挙を含め、選挙のたびこんなバカバカしいことは割に合わないと思うのだが、いつの世も全国至る所で、こんな狂気の世界に飛び込む人間が後を立たないのである。
私などは、直ぐに人間に惚れてしまうので、今回も真面目に地方区は椎名一保氏と比例区は臼井正人氏を応援している。
明日も6時半から駅でビラ配りである。


蛹化と羽化の季節到来
2010/06/18

いよいよ本格的な夏の到来とともに、虫たちの季節がやって来る。
梅雨の晴れ間に庭のウマノスズクサを見ると、つい先日まで2,3mmの小さな毛虫だったジャコウアゲハノ幼虫が、今では何匹も4,5cmもある終齢幼虫になっている。餌になる、昨年植えたひ弱な食草が、今年はびっくりするほどたくましく成長し繁茂している。
また、今年何本か買い足して置いたミカンの木にもアゲハチョウが真珠のような卵を産みに来ている。
孫達の喜ぶ顔が見たくて様々な食草を植えてあるのだが、学校に入り忙しくなった孫達はなかなかやって来ない。

飼育鉢のカブトムシの幼虫は、昨晩、何気なく土を入れ変えてやろうと引っ張り出して見たら、ちょうどサナギになる最中であり、何匹かはサナギになり、何匹かはその途中であり、またこれからサナギになろうとしている幼虫も尻を回しうごめいている。
昆虫の神秘の中でも最大のものが、この蛹化や羽化と言う現象である。毛虫や芋虫だったものが、一度、外皮である殻の中でどろどろに解けて、再び全く形の違う蛹に変身するのである。蝶などは皆似たようなサナギの形になるが、カブトやクワガタやカミキリムシなどは成虫に似た形の蛹になるので雌雄が直ぐ分かる。
その後は、気温の影響をかなり受けるのだが、1週間か10日ほどで脱皮し成虫になる(羽化)。
それこそ醜い幼虫の姿から、美しい蝶やたくましいカブトムシに生まれ変わって自然界にデビューするのである。

幼い頃からこんな神秘的な現象を観察をし、採集や飼育などの経験をすることがどれ程のものかは分からないが、こんな小さな生き物からも命の素晴らしさを学ぶことは間違いのないことである。
今、昔のこども達が、年甲斐もなく蝶の採集に夢中になっている。私の息子(次男)や友人にもそんな男たちがいる。

一般質問が終わり間もなく市議会も終わるが、国会でも中途半端、ドタバタのまま閉幕し、参院選挙が近づき何かと慌ただしくなっている。

「はやぶさ」の快挙
2010/06/14

売れない本の表紙を変えた途端に、一気にベストセラーになってしまったごとく、中身が同じなのに菅政権の誕生と同時に、一気に支持率が3倍にも跳ね上がるという異常な現象に、国民不信、政治不信に陥ったのは私だけではないだろう。
そんなとばっちりを食ったのが、昨日開票の松戸市長選挙ではなかろうか。実績、経験、人物などは雲散霧消、よく分からない国政同様、織田信長もどきの新興大名に城を明け渡す。こんな世相には、政治家の値打ちも、人気商売のTVタレント以下なのかもしれない。

そんな日本に飛び込んできた嬉しいニュースが、7年もの艱難辛苦の長旅を続け、見事、オーストラリアの予定の地に帰還着陸した「はやぶさ」の快挙である。うっとうしい梅雨空同様、意気揚がらない国内情勢の中で、何にも増してわが国民を喜ばせたに違いない。
「何故、世界一でなくてはならないの・・」と言われた、科学立国日本の面目躍如、国民が自信を取り戻した先端科学技術の勝利である。

今夜は、カメルーンとのワールド杯サッカーの初戦の試合がある。J2で無敗の柏のレイソル同様の奮起を期待するばかりである。

目下、市議会の真っ最中。市長の退職金辞退の議案に関する質問と公共施設内外の禁煙についての質問が面白い。

こども手当てのこと
2010/06/01

いよいよ今日から「こども手当て」が支給され始めた。
当初のマニフェスト通りに2万6千円が支給されると、我が家の6人の孫たちが受け取る総額は、計算したところ、1890万円になるはずであった。このとき既に「これは当てにはならないぞ、家一軒分ではないか」と思っていたのだが、案の定、今年は半額の1万3千円になり、来年から全額支給ということになった。
借金地獄のわが国の財政の中で、この「こども手当て」だけでも毎年5・5兆円の予算が必要という。
事業仕分けや埋蔵金を当てにしてもいくらも集まらず、結局44兆円もの国債を発行して92兆円の予算組みをしたばかりである。そして2,3年前に700兆円台だった国の債務残高は883兆円となり、日本はかつて無い未曾有の借金王国になってしまった。
そして今日のニュースによると、こども手当ての半額の1万3千円さえも今回の参院選のマニフェストには乗せないという話も伝えられる。
それは無いだろう。政権をとったら今年だけで終わらせたら詐欺みたいなものである。子供を持つ多くの若い夫婦は、いつまでもらえるかを心配しながらも「今日のこども手当てで何を食べようか」とか「どこへ行こうか」などとTVの画面で喜んでいたのに。
しかし、7人の子供を持つ大阪の橋下知事は「もらえることは有難いが、これは絶対に間違っている」とハッキリ言っていた。
私も同感である。目先のご馳走に目がくらみ、国を滅ぼしては何にもならない。国が滅びても困らないのは、蓄財86億円の鳩山総理や蓄財35億円と言われる小沢幹事長くらいのものである。
連日のニュースに文句を言いたいことは山ほどあるが、こんな日本、世も末である。

総会雑感
2010/05/25

このところ総会シーズンなのか、一昨日は私が監査をしている地元商店会の総会があり、今日は、沼南商工会の総会、明日は、みどりの基金の総会と柏市商店連合会の総会の昼夜ダブルヘッダーである。立場上、挨拶があったり、報告があったり出番があるので気が抜けないことが多い。
総会と言ってもほとんどが、21年度の事業報告や会計報告、22年度の事業案や予算案など形式的なものばかりで、たいした質疑もなくシャンシャンシャンと拍手で承認され、後は会員との懇親会となる。
非常に日本的であり、多くの人は無関心なのかもしれないが、一般的にはこのようなもので、会員は役員や執行部の労苦に思いやりを示す。
様々なボランテア団体はこのようにして平和裏に運営されているものだが、時折、反旗を翻し会長や執行部の批判や改革が求められたりもする。その理由の一つに、長すぎる役員や本人の勘違いによる思い上がりや失言などが批判される場合、マンネリでやる気のない名ばかりの役員が居座る場合などもある。
また、互選で選ばれた善良な役員に横槍を入れたり、自分から名乗り出たりするものもいる。
私も様々な会の会長や役員をやってきたのだが、知らないところで何を言われている分からないと思うと常に不安であり、早々に後釜を探すことにしている。
議員もそうである。しかし、議員は選挙の結果で選ばれるので、その辺のところが良く分からず、己の引き際が決められないでいる。
「知に働けば角が立つ。情に棹(さお)差せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい・・」とは漱石の草枕の冒頭である。

久々に更新
2010/05/10

大型連休が終わり心身の倦怠感が残る中、私の周辺も何かと慌しくなってきた。
民主党鳩山政権も普天間基地移転問題で支持率が24
%に下がり、起死回生を狙ってか7月の参院選の比例選に「柔ちゃん」を引っ張り出してきたりと、小沢幹事長が選挙のプロの本領を発揮し始めた。
考えることは同じか、一向に人気の上がらない自民党や他の政党も、同様にスポーツ選手を取り込んでは支持率の回復を図るようだ。小泉、小沢チルドレン同様に馬鹿げた話である。
この地区では椎名一保氏と元少子化担当大臣・猪口邦子氏が選挙区から、そして比例区で臼井正一氏が候補者として公認され、末端の我々にも応援の依頼がきている。
自民党政権末期以来、これだけ国政でのドタバタが続くと、我々政治家の端くれでなくとも政治不信に陥り、どのような対応をしてよいのか分からなくなる。その上、同郷の渡辺善美氏からも「みんなの党」の応援依頼が来ている。
「人間は、それぞれ自分の立場で生きている」と言う言葉が「峠」の主人公河合継之助の言にあったが、私の立場は柏市会議員の会派「柏清風」の中にある。目先の誘惑や利害に捉われ、立場、道義を放棄して桜田前代議士、山中会長のラインを踏み外すことは出来ない。精一杯応援をしていかねばと思う。

今日は初めて新任の下総基地特別委員会に出席した。
担当職員から基地周辺補助事業のこと、訓練回数や騒音苦情等の説明があったが、委員からの質問は飛行回数や苦情の対処方法や改善ばかりで、聞いているうちにバカバカしくなってしまった。毎年数千万円もの補助金をもらっており、迷惑施設だからもっともらえば良いとか、騒音が出ないようにして欲しいというような要望ばかりである。騒音被害の多い個人宅には二重サッシやクーラーなどの全額補助をしていると言う。
自国の防衛のための訓練生の飛行を自粛しろと言っているようなものである。立場の違う委員との国防の議論になるので余り反対意見も言わなかったが、毎年同じような質疑をしているとのことで、実に不思議な委員会である。

時は春・・
2010/04/14

春爛漫、百花繚乱の季節とはいえ、今年の春は例年にないおかしな天候に自然も人も戸惑ってしまっているようだ。
お陰で、先週の日曜日に花見をした人が、今週の日曜日にも花見が出来たと喜んでいる。日替わりに寒暖の差が激しいので、開いた花が八分咲きで止まってしまうと言う状態が長く続いたせいである。
日曜日に布施弁天のあけぼの山のチューリップ祭りに行ったが、桜とチューリップとが同時に写真に納まるなど珍しいことだ。さすがに桜は散り始め、夜毎の風雨に色褪せてしまったが、新川耕地の江戸川土手の菜の花は今が盛りで、いつになく美しい。今年もまたたくさんのツマキチョウが見られ、嬉しくなってしまった。
近くの里山に入れば、人目につかぬがアオキの花、ハナイカダ、フデリンドウや何種類かのスミレ草などが、ひっそりと春の訪れを知らせている。
「春よ来い・・」と待っていたのは歩き始めたミヨちゃんだけではなく、全ての生物が動き始めている。森で、きくらげの群生やトカゲやツチガエルなども見つけた。我が家でもカブトの幼虫が大きく育っている。

今議会の終了時に完成した「議会だより」を配っているが、日替わりの天候不順と雑用に追われ一向にはかどらない。何人の人が読んでくれるのか知らないが、議員活動の一貫として、また、足腰の鍛錬、自分の健康のためと思って歩き回っている。


町会新年度がスタート
2010/04/05

先週の日曜の総会、そして、昨日の新旧役員引継ぎ会で、とうとう私が豊四季町会の町会長をやることになってしまった。
7,8年も前からそんな依頼があったのだが、その度、地元を走り回り有力者を説得し会長をお願いしてきたのだが、中々、引き受け手が無く、三期勤めた前々会長の後、やっと受けてくれた前会長が1期でどうしても辞めると言うことになり、急きょ、私にお鉢が回って来た次第である。
これまで私は副会長の立場で、会計や書記の仕事を一手に引き受けてきたので、その後任を受けてもらえればという約束で長の職を受けることになった。
会長以外なら案外簡単に見つかるもので、安心な会計さんや書記さんも快く引き受けてくれ、そしてまた、多くの仕事は役割ごとに役員さんに分担され、私はむしろ前よりずっと気が楽になってしまった。
何しろ所帯数が1750所帯もある大町会であり、会計決算も4会計にもなるのでむしろ役割分担をして良かったと思う。また、責任者をやっていた防犯担当、防災担当も手を離れそれぞれに責任も持たせたので、担当役員は張り切っている。
これまで私の持論で、可能な限り地元の人がトップはやるべきだと思っていたので逃げ回っていたのだが、その辺の協力体制にも心掛けていかねばと思う。
「町会の役割は、1にも2にも地域の安心・安全で住み心地の良い住環境の整備なので、皆さんと執行部役員ともどが力を合わせて頑張りましょう・・」という趣旨の新任の挨拶をした。

「事業仕分け」の講演会
2010/04/01

今日は4月1日。いよいよ新年度が開始する。
高校授業料無償化法案ほか多くの法案が可決されが、心ある多くの国民の気持ちは複雑な思いであろう。
こども手当てなどの様々なバラマキ、大盤振る舞いで、遂に国家破綻の第一歩が踏み出されたのである。

昨日、我が会派の主催による「事業仕分け」に関する勉強会が行われた。過日のTV放送で注目された事業仕分けのプロ集団「構想日本」の「行政刷新会議事務局・参事官」他数名が訪れ、研修講演後に模擬会議が行われた。
会派の少人数で聞くのは勿体ないと言うことで、他の会派や役所の方にも呼びかけておいたのだが、蓋を開けてみてびっくり、中央公民館4Fのホールがほぼ満杯の状態になってしまった。
秋元市長初め、部・課長さんや職員さんが多数参加している。
柏市でも今年から事業仕分けをして、事業の見直しや優先順位などを決めると市長が言っているので、各部署でも関心が大きいのであろう。
話の要点は、この事業仕分けの手法は、決して予算をカットしたり事業を廃止するためのものではなく、公(おおやけ)の事は官がする。私的なことは民間がする・・と言う従来の手法を見直し、市民の共同参画により官の部分を民間に委譲し、少しでも税金の無駄を省こう・・と言う観点から各事業を見直すことであると言う。
そのためには、まず@予算項目ごとに仕分けする事業を選択し Aその事業がそもそも必要なのか B外部の人の目で C公開の場で議論し D最終的な結論を出す と言う手順で行うことが原則であると言う。
その後、市で用意した広報公聴課の事業サンプルの「事業シート」をもとに、司会(参事官)、説明者(担当職員)、仕分け人(議員、職員、プロ)が、かんかんがくがく様々な観点から議論をし、最終的な結論まで持っていったのだが、その過程は、正にTVで見たままの光景であり、非常に興味深く1時間半があっという間に過ぎた。
結構な費用も掛かったが、会派の初の試みとしては大変有意義な講演会であった。

ウエルネス柏内覧会
2010/03/25

一昨日、完成した柏市総合保健医療福祉施設(ウエルネス柏)の内覧会があり、他の議員と共に施設内を見学をしてきた。
鉄筋コンクリート造り5階建て、延べ床面積9920u、聞きしに勝る広大なそして立派な施設である。
この中には、保健所部門のほか医療サービス部門、福祉サービス部門、総合サービス部門、管理部門が置かれ、保健サービス部門では最先端の設備を備えた検査機能や相談機能、健康診断機能、検診機能を備え、医療サービス部門には、夜間急病診療機能、特殊歯科診療機能、薬局機能などがあり、福祉部門には、こども発達センターが置かれ、知的障害児、肢体不自由児、言語指導のための通園者や機能訓練などの多くの施設や給食施設なども完備している。
これまで議会の視察で様々な福祉施設を見学してきたが、柏のこれは最先端の施設である。恐らく全国各地からの多くの視察見学者が来るものと思はれる。
4月5日オープンという。
心配していた特殊歯科診療施設も治療室、手術室共に素晴らしい施設であった。くれぐれも事故のないことを願うものだが、2月末になって突然辞退してしまった歯科医師の補充は未だ決まっていないようである。

卒業式のこと
2010/03/14

多忙な1週間が終わり、議会も残すところ一般質問があと1日、そして委員会と採決で終了である。
私の反対していたウエルネス内の特殊歯科診療の機器搬入の議案も可決されることになり、私も、議会初日に会派内での話合いで、付帯決議や市長への要望書提出を条件に初志に反し賛成討論をした。
心から税金の垂れ流しや医療事故のないことを願うばかりである。

先日、中学校の卒業式に参列した。以前のように跳ねっ返りの生徒もなく、粛々と式は進行したのだが、昨年に引き続き生徒名を読み上げる新任の先生が、感極まって涙声で呼称が出来ない場面あったり、答辞を読んでいた3年生の男子生徒が嗚咽を漏らしたりという感動的な卒業式であった。
しかし、一方、私には「男のくせに泣くなよ、、」とか「女々しいことをするなよ、、」といった、不快な思いがしたことも事実であった。それでなくとも男性が女性化しているといった話や、草食系男子などと言った言葉が巷に聞かれることを憂いている人間としては、何とも困ったことになったものだと思う。
私自信も、ドラマ等を見てもすぐにウルウルしてしまう感情的には弱い人間なので、そんな気持ちもよく分かるのだが、一方、男たる者「人前で喜怒哀楽をストレートに現してはいけない、、」といった日本人としての「男の沽券」と言った古風さにこだわる人間なのである。
しかし思い返すと、私も塾をやってた時代、卒業生を送り出した後の寂しさや、虚脱感にとらわれたことを考えると、相性の良かったクラス、思い入れのあった生徒たちとの別れには感情的になるのも当然なことであろう。いい人間関係が垣間みられるのである。

この2日間の暖かさで、スイセンやサクランボの花も満開になったってきたようだ。

オリンピックに思うこと
2010/03/01

様々なドラマを生み出した冬季バンクーバーオリンピックも、今日、閉幕した。
中でも、男女フィギアスケートへの思い入れは、恐らく日本の国を挙げてものだったのではないかと思う。そのプレッシャーを抱えてのトリプルアクセル(3回転半)を計3度も成功させた浅田真央の演技は、銀メダル以上に歴史に残る偉業である。しかし、彼女は国民の期待に応えられず、そしてまた、キム・ヨナとの余りの得点差に悔し泣きをしていた。
フランスの金メダル候補のジュベール惨敗の記事が載っていたが、オリンピックで勝つことがどれほど困難なことかを思い知らされる。
国威高揚にはオリンピックは最高の機会である。そして、選手を強化するためには莫大なお金と時間がかかることは周知の事実で、カナダ政府は100億円もの強化費をかけたという。
わが国のように事業仕分けで予算を削っては、メダルどころか参加するだけで選手が路頭に迷いかねないことも知った。様々な人間ドラマを見、色々なことを学んだ今回のオリンピックであった。
昨日は、チリの地震による津波騒ぎで一日中テレビに釘付けなったが、幸い、たいした被害も無く警報が解除された。テレビでオーバーなくらい繰り返し様々な注意をしていたが、やはり用心に越したことは無いと思う。
先週末、町会の防犯・防災講習会があった。ところが、今年は昨年ほどの人が集まらず、次第に慣れてきたせいか「笛吹けど踊らず」といった無関心さが感じられた。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」では無いが、チリ地震が防災意識の刺激になれば・・と思う。

議案・国保値上げの件
2010/02/18

先週の10日、我が会派のための今議会議案の説明会があったが、44議案と言う大量の議案提出に、午前中から夕方まで各担当部からの議案の説明と質疑が行われた。しかし、それでも良く分からぬ点があるということで、昨日、特に国保会計や市民生活部に関する再説明と質疑がなされた。
今議会で一番問題になりそうな議案は、国民健康保険の値上げになりそうである。昨今の景気の低迷で個人所得の減少により国保収入が減少し、高齢者の増加により医療費が増加したことで、H21年度決算見込み医療費の額が予算の149億円から154億円になり、H22年度には160億円となると言う。このまま改定をしなければ、H22年度予算は20億7千万円の財源が不足すると言う。そのために議会に保険料率の改定議案が出されたわけである。
これは2人世帯で、年収300万円の家庭で年額5万円ほどの値上げになり、900万円ほどだと14万円以上の値上げになると言う。結構な保険料になるので、それなくても低い収納率が更に悪化しそうである。
またその折に、平成23年度には、地方議員の年金積立金が枯渇し、破綻が確実視されているといことで、その説明もあったが、困ったことに解決策は不明の状態である。毎月9万円以上の年金を天引きされているのに、一体どうなるのだろうか。

バンクーバーの冬季オリンピックのニュースが連日テレビを賑わしている。いつもこんな時に思うのだが、どうして日本は韓国より弱いのだろうと・・。

決算時期になる
2010/02/08

毎年のことながら、2月は私にとって頭の痛い月である。
いくつかの団体の会計をやっている関係で、その収支決算書作成や自分の事業の確定申告の決算書を作る以外にも、青色申告会の記帳指導以来、知人の申告書作成の手伝いなど、計算機を片手に毎日数字ばかり見ている。
地元神社の氏子会の総会と会計報告は既に終わったが、今月末までには町会の監査があるので決算書をまとめなければならない。日頃から几帳面に整理をしておけば楽なのにと毎年思うのだが、ついつい最後になって慌てることになる。
それでも昔の商店会の決算やスタンプ会の決算にに比べれば、今は全て任意のボランテア団体なので気は楽であるが、町会などは日常の出し入れが頻繁なので銀行の往復が大変である。
何故か私には、昔から会計や書記などの役ばかり回って来るのだが、始まると中々止められないで困っている。今では、我が会派の視察の会計も私の仕事になってしまった。

連日、予算委員会の国会中継が面白い。いつも攻められてばかりいた自民党が与党、民主党の鳩山総理を攻めまくっている。しかし、宇宙人の本領を発揮してか一向に困った風も見せず、飄々と小沢幹事長の分まで一人で火の粉を被り続けている。安倍総理や福田総理と比べると打たれ強くてたいしたものである。
先週、1年ぶりで孫達とスキーに行ってきた。驚いたことに、昨年、初めて滑った1年生の孫は、ヘルメットにゴーグルをつけて急斜面を私より速く滑るようになってしまった。しかも格好が様になっているのである。 立春が過ぎ、寒い冬ももう少しで終わる。

凧揚げ大会
2010/02/01

昨日は、初めてのことなのだが利根川遊水地での凧揚げ大会に参加してきた。これは田中地区の社会福祉協議会の主催によるものらしいが、今回で24回目を迎え柏市の伝統行事の一つになっているようだ。
地区の町会がそれぞれテントを張り模擬店やら観客席などを設け、参加者を接待したり近隣の交流の場として、お祭り気分で飲食などを楽しんでいる。
私は、今回、以前に中国でたくさん仕入れてきた連凧と、武者絵を描いた手作りのイカ凧を揚げてみたくて初めての参加である。連凧もイカ凧も、正月に柏の葉の公園で試験済みである。ともに良く揚がったのだが、連凧が見事だったので他の人たちにも見てもらいたいと思ったので参加した訳である。
ところが、私の予想に反し手作りの連凧がいくつも揚がり、手作りの大凧などもたくさん飾られている。そして、いくらも吹いていない風に乗せて様々な種類の凧が揚がっている。次第に人の出も増え、これほどの行事だったのかと驚くとともに、こんなに凧の好きな人が多いのかと嬉しくなってしまった。私もまた、童心に帰ってひとつの連凧を妻にも持たせ、武者絵を書いた菱型のイカ凧を真剣に揚げていた。
マージャンと凧は揚がらなければ何にもならないというが、風が少ないとなかなか難しいものである。そして肝心の大会の採点開始の11時頃にはほとんど無風状態になり、空に揚がっている凧は1つか2つしかない状態なってしまった。私もイカ凧の方は断念して妻の方を見ると、連凧の方は微風の中、依然として空中高く漂っているのである。しかし、12時から私は次の予定があるので、その連凧を回収し始めた。中国でもほとんど風のない中を悠々と泳いでいたこの連凧は、30で20元(300円弱)という安価なものだが、小さく軽いので風が弱いほど優雅に舞うようである。
後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしたが、こんな素晴らしい日本の伝統行事は是非とも残していきたいという思いであった。そして、今日はあいにく孫たちも来られなかったのだが、私たちにとっても久々に幼い少年時代に帰って、予想外の楽しいひと時を過ごすことが出来た。

視察先にお殿様
2010/01/25

先週は3日間、会派視察で九州の人吉市、綾町、宮崎市に行ってきた。視察項目は、いずれも地味な内容のものではあるが、いずれも地域に根ざしたユニークな取り組みのものばかりであった。
人吉市では、商店街の空店舗を組合商店会から安価に借り上げ、子育て支援の一環として「親子の居場所作り」をNPO団体に指定管理者で委託をし、育児相談や買い物のための一時預かりなどをして、こどもルーム並みの遊び場を提供し、商店側も顧客を確保するという取り組みである。多くの若いお母さん方の交流の場になり、子育て相談の場所になっていると言う。
驚いたことに、その現場に商店会の方と共に人吉市の市長さんが出迎えてくれたのである。そして、私たち一行は、市長から親しく挨拶を頂き恐縮をしてしまった。
柏市とは縁が深く、鎌倉幕府成立以来続いている人吉城主の末裔、39代目の当主が柏市の職員だったという事であり、そんなこともあり我々の視察を歓待してくれた訳である。
相良知重さんというそうだが、退職後は「まちづくり親善大使」として、街の行事があるときには年に何度か帰省するそうである。そして、更に驚いたことにはホテルの夕食時に、当の本人が差し入れを持って現れたのである。
世が世なら恐れ多くて口も利けないお殿様が、柏からの視察という事でわざわざ顔を出してくれたものである。
人吉市は、私の田舎に似た風光明媚な歴史の古い城下町であり、市内の史跡のほとんどが相良家に関係のあるものばかりであると言う。隣の薩摩や肥後に支配されることもなく、相良家が営々と39代も続いたと言うことは奇跡のようなものである。そして、当主の知重氏は正にお公家さんのような風貌をした方でり、高貴な雰囲気を漂わせた方であった。
宮崎県の綾町では、町ぐるみの無農薬野菜作り、土壌作りや有機栽培のレクチャーを受け、宮崎市では「地域コミュニティー税」の導入について学習をしてきた。いつになく多様な内容の視察であったが、いずれも印象深く有意義な内容のものであった。

続ミミズのたわごと
2010/01/15

新年早々、国内外で暗いニュースが多い。
15年前の阪神淡路大震災の時を同じくして、カリブ海のハイチで地震があった。人口が約960万人のうち3分の1、被災者は300万人を超えると言われており、死者は数十万人に及ぶだろうとも言われている。
そしてその犠牲者の多くは、日本同様、倒壊した建物の下敷きになったそうだが、原因は建設業界の日常的な「手抜き」工事にあり、「崩れるべくして崩れた」とも言われ、業者の「雑な設計」「ワイロで認可」によるものが原因と言われている。一瞬にして建物が「パンケーキ」状態になった中で、被害者が何を考えたか、考える暇も無かったかもしれない・・。

今、我が国内では、民主党幹事長の小沢氏の建設業者からの献金問題や不透明な土地取得疑惑が取りざたされている。「西松建設」だけでなく今度は「水谷建設」と言った中堅ゼネコンが口利きで「胆沢ダム」を受注し、2度にわたり献金を要求され5000万円をそれぞれ2人の秘書に渡したということが報じられている。
正にこれはワイロであり、献金した分だけ手抜き工事が行われ大地震の際、ダムは決壊するかも知れない。安心・安全、人の命をどのように考えているのだろうか・・。
12億円も母親から貰って「知らなかった」と言ったり、バレタから「贈与税を払えば良いでしょう」といった思考方法は、共に「とんでもない」ことであり、国民感情を逆なでする言い草である。
真面目に政治を志し、真剣に国を思って立候補した、若手「小沢チルドレン」にどんな顔をして新人教育をしているのだろうか・・。

新年、ミミズのたわごと
2010/01/05

明けましておめでとうございます。
穏やかな日和の続いた正月がやっと終わり、孫達もそれぞれ書初めを仕上げ、新学期の用意に帰っていった。
どんな一年になることか、社会の第一線で働く息子達の年頭の感想も余り良い話が無く、これからは大企業でも中小企業でも何が起こっても可笑しくない時代になったと言う。
政治も然り、世界も国も柏市もどう変わるのか、先が読めない状態である。
私などは、生来は暢気ものであり、余り先のことなどを深刻に心配することもないのだが、息子達や孫達の将来を考えると、非常に気の毒になる。否応無く、これからは厳しい大変な競争社会になりそうだからである。
昔のように国民が皆貧しかった頃に立ち返れば、不満や不足も感じないで済むのだが、今の子供たちではどうなるのだろうか。これまで額に汗して働くより、贅沢に何でも与えられてきた世代には、これから始まる不足に我慢が出来るのだろうか。
いつまでも満足な子供手当てや手厚い福祉が続くとはとても思えないのだが・・。
杞憂という言葉がある。昔、天が落ちてくるのではないかと心配で、夜も眠れず食事も喉を通らないという杞の国の男がいたそうだが、正月早々、この年の行く先を憂え、取り越し苦労することもないだろう・・。

年末雑感
2009/12/30

いよいよ今年も残すところ後一日になってしまった。振り返ると個人的には平穏な一年であったが、対外的にはいろいろな出来事が起こり前途多難な激動の1年であった。
桜田氏敗北の衆議院選挙と政権交代、応援した会派仲間の海老原氏の市長選の落選。それらに伴う目まぐるしい政治の変貌と国内の混乱。そしてまた先の見えない景気後退と日本の将来...。心穏やかな将来の夢の見れる日が何時来ることか...。
議員になり満10年、いくらか市政のことも分かり、地域のことも分かってきたこの頃、自分は一体何が出来るのだろうかということを考える。大きな時代の変化と潮流の中で、小さな自分が出来ること、自分が必要とされることを真面目にやらねばと思う。
私にとって昔から年末はいつでも多忙である。借金取りに追われて師が走ることはないが、12月議会の終了とともに年末年始の雑事が開始され、地域の行事も多くなる。そして、毎年のように商売の注文品の配送、挨拶回り、年賀状書き、大掃除等々、そしていつも大過なくつじつまを合わせるのが恒例となっている。
先の議会で素晴らしい退任の挨拶をした渡辺代表監査が年末に退職した。議員になり、これまでも多くの素晴らしい人たちとの出会いがあり別れがあったが、親しく話の出来た渡辺氏には感謝している。

議会も一件落着か
2009/12/15

今日、今議会で取得するこんぶくろ池の現地視察の後、私が委員長を勤める建築・経済委員会も無事終了した。あとは最終日の採決を迎えるばかりである。
議案も少なく委員会は簡単に進むと思っていたのだが、昨日になって、先日の小学校用地のダイオキシン検出のその後の経過と、高柳駅西側の区画整理事業の現状と今後の見通しについての追加説明を求める委員からの要望があった。事務局も気遣ったのだが、これも議案の質疑の後に、モメルことなく淡々と仕切ることが出来た。
それより心配だった議案は、同じ日に委員会のあった特殊歯科診療設備購入の議案の去就であった。前日までは廃案の可能性が大であったが、結果は、継続という先延ばしに落ち着き、我が会派にとっても新市長にとっても難の無い穏便な結末になった。
これが賢い政治の世界と言うものなのかもしれない。

一方、国政の方では、小沢氏の天皇を巻き込んだゴリ押しと暴言には不快極まりない思いをしている。選挙に大勝すれば何をやっても、何を言っても構わないといった思い上がりばかりが目に付き心穏やかでない毎日が続く。
盛者必衰、生者必滅、奢れるものは久しからず・・と昔の人も言っている。

一体どうなるの
2009/12/09

新市長誕生による初めての議会が開会中である。
開会初日の所信表明演説と選挙時のマニフェストの内容を質す質問が多いが、秋山市長、慣れていないせいもあり答弁にならないことや、質問の意味の分からないのでは・・と思われることや、説明が出来ずに「検討をしておきます・・」と言う言葉の乱発だったりと、やはり、座りたての市長のイスの硬さには相当苦労をしているようだ。
議場も保革逆転の様相を呈しており、野次や応援の掛け声が逆になったり、質疑がかみ合わず不完全燃焼なのか、何故か奇妙な雰囲気に包まれている。
新市長への質問者も皆優しく、新人議員同様、不慣れなことを思いやってか、厳しい突っ込みや追求もなく、淡々と進んでいる。新市長、若く柔軟なので議会に早く慣れて欲しいものである。
しかし一方、トップが替わったせいなのか、これまで突っ走ってきた公設市場の移転や新中央図書館などの最大の懸案事項が、開会早々に「廃止や見直し」の方向に決まってしまった。
更には、今年の3月議会で私が廃止を主張してきた、特殊歯科診療施設の機材を購入するための予算議案を、今になって強硬に反対するベテラン議員の質問まで飛び出してきたのである。
ひょっとするとこの問題も賛同者が増えれば、将来に禍根を残す、つまり、税金の垂れ流しの心配のある医療施設が廃止、見直しになりそうである。
これらの施設や事業は、長年にわたる準備や様々なしがらみのある事業ではあるが、柏市の行革の上からも、また、今日の厳しい経済状況の折からも無理してやるやることのない事業ではないかと思う。これは私の確固たる信念であり、今でも変わりがない。

国政に目を転じると、喧々諤々、ますます寄り合い政権の危さが露呈される毎日である。鳩山政権も基地、景気、献金の3Kで沈没しそうだが、国が滅びてはもっと困ることになるので何とかして欲しいものだ。
彼らは無責任にも、36万9千円の給料(税収)しかないのに、53・5万円の借金(国債発行)をし、95万円(概算要求)もの生活をしようとしている。

新旧交代劇は・・・
2009/11/24

二つの選挙が終わり、我が会派は脱会、死亡により15人から4人が欠け11人になってしまった。
何はともあれ多忙な毎日が一段落したということで、先週は久々に会派視察に行って来た。ところが、担当した若手議員の選んだ視察地と視察項目が非常に堅苦しく、連日、頭の痛くなるような難しい講義と説明ばかりであった。
大阪市では「大都市制度の問題と今後の展開について」。大阪府の八尾市では「PFI方式による市民病院経営について」。静岡市では「政令指定都市移行への経緯と課題について」という内容のものであった。
その間、前本多市長の退任セレモニーがあったが、会派の多くのものは送別の席に出席できず、内心、心苦しく思っているはずである。そして、今日は秋山新市長の初登庁セレモニーと言うことらしいが、私は用事があり欠席した。
今後の柏市政がどのようの変わるのかは分からないが、民主党政権のこれまでの推移を見ていると、わが国の政治が大きく変化するのではないかと思う。しかし、進行中の非情な事業仕分けを見たり、沖縄の普天間基地の移転問題、景気対策、補正予算の3兆円凍結、マニフェストによる様々なバラマキなどを見ていると「一体、日本はどうなってしまうのか・・」という不安でいっぱいになる。
自民党政権も最後はヒドイものだったが、交代した今の政権も、こんな調子では国を危くするのではないかと一層心配になる。
しかし、選挙で多くの市民、国民がそんな選択をしたのだから、そのツケは国民一人ひとりに回ってきて困っても仕方のないことなのである。

明後日は建設経済委員会で、キャンパス駅近くの小学校建設予定地でダイオキシン類による土壌汚染が確認されたと言うことで現地視察と説明会がある。市では、24年4月開校が遅れないよう、施工者である千葉県に適正処理を申し入れたと言う。
レイソルが土壇場になって頑張っているが、これもどうなることやら・・。


「新富フェスタ」のこと
2009/11/09

この土・日の文化祭「新富フェスタ」が無事終了した。新富地域ふるさと協議会の一大イベントであり、私が担当して以来ちょうど10年になる。
年々内容が充実し、参加者、来館者も増えており、すっかり地域の祭りとして定着したようだ。
作品展も内容がグレードアップし、苦労してきた作品の募集も今では一部お断りするほどになり、以前とは隔世の感がある。展示のセミプロが部員にいるせいか非常にすっきりとした展示になり、絵画、書、工芸品、陶芸、洋裁、刺繍、木目込み人形、アートフラワー、写真、菊花等々、更には昨年から幼稚園児の作品なども展示され盛りだくさんの作品が整然と飾られている。
初日の演芸大会も以前は民謡と踊りばかりだったが、大勢の子供たちによる太鼓や空手やレイソルダンス、そして大人の詩吟、伝統芸能やギター演奏、柏のチアリーダースのパフォーマンス、そして、恒例となったかつてのプロバンドのハワイアンの演奏とフラダンス等、午前と午後にかけて盛り沢山の出し物が続く。
全て方々が参加賞一つのお礼で出演してくれるのである。私はいつものことなのだが、有難くて有難くて感謝の言葉もないほどである。これらの人たちも同様に観客が大いに楽しみ喜んでくれるので出演してくれるのかも知れない。毎年、私の電話一本で参加しくれるのである。
2日目のカラオケ大会も、町会を代表して出演してくるせいか、演歌ばかりではなく、驚くほど素晴らしい歌と美声を披露してくれる人がいたりする。
また、屋外では、フリーマーケットの店、模擬店や野菜や生鮮品の店が出店し、豚汁や焼きそば、ポップコーン、コーヒー、そして、今年の目玉は秋刀魚を焼いて50円で売ったために常に行列が出来ていた。文化部の部員のほかに近所の団体の人たちが大勢参加してくれるようになったお陰である。
その上、日曜日には、モチツキ大会もあるので皆んな大喜びである。
今年は、生涯学習授業の参加者の成果発表や陶芸サークルが作品の無料の体験製作指導をやってくれたりと、ますます文化祭への協力の輪が広がってきたようだ。
何日間も準備は大変だったが、大満足の2日間であった。

高城氏逝く
2009/11/04

10月31日(土)、休止していた私の後援会の日帰り旅行が3年ぶりに行われた。バス3台が満席となる盛況ぶりで、裏磐梯五色沼を散策するもの、ホテルの昼食会場で温泉に浸かるものと、秋の紅葉を満喫しながらそれぞれにリフレッシュして楽しい一日を過ごしてきた。
今回で5回目となるが、近くに親類縁者や同級生、幼な馴染のいない私にとって、これらの参加者と懇親を深めることは嬉しく有難いことである。

11月1日(日)晴れ。午前中は、恒例の町会の防災訓練が行われた。防災・防犯ボランテア中心に、組長さんや班長さんらが約100名集まり、5つの班に別れ消火訓練、煙体験、救命救急講習等の体験訓練を行った。そして、説明役として私が町会で取り組んでいる地域の防災・防犯・組織等の現状を説明する。
こちらも組織を立ち上げてから今年で6年目にはいる。
11月1日は市長選の投票日。夜になって開票が進み、大変に心配していたとおり、応援の甲斐なく海老原氏の敗戦が決まる。現状の民主の風には如何ともし難いことを痛感すると共に、今後の柏市の市政運営の変化に不安を覚える。私としては、堂々と意思表明をし応援をしてきたことに悔いはないが、落選者の心中を思うと同情に耐えない。
選挙の恐ろしさばかりを知る思いである。

そして昨日、私の会派の高城議員が亡くなった。前回の議会中に激ヤセの姿で「食欲がなく力が出ない・・、原因が分からない・・」と言っていたが、こんなに早く亡くなるとは・・びっくりしてしまった。沼南の名家の出で、非常に温厚であり人の良い、一緒にいて楽しい人物であった。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
いよいよ今週末には、私の担当している近隣センターの文化祭が始まる。こちらもまた大変な催しなのである。

市長選も終盤
2009/10/27

先日の日曜日が市長選の告示、各陣営の出陣式が行われた。私たちは会派の仲間と共に同僚だった海老原候補のセレモニーに出席する。いまいち盛り上がりに欠けるようだが、自分の新聞と共に彼女のリーフレットを配りながら街を歩いてみても、市長選のあることを知らない人が多いのには驚てしまう。
連日の鳩山新政権のニュースに、地元の市長選挙も霞んでしまっているようだ。
その日の午後、柏駅前のWデッキの下で海老原候補のマニフェスト配りを手伝っていたら、程なくデッキ上には国会議員、県会議員の助っ人を多数引き連れた相手候補の演説会が行われた。
天下を取った民主党議員の威勢の良い演説は致し方ないにしても、「国会は変わった、今度は市長を変え、市長を働かせるには議会・議員も変えなくてはならない・・」と言った発言や、候補者の「柏市の借金は2300億円、孫・子の世代までこんなツケを残せない。こんな放漫な財政を改革するために立候補しました・・」と言うような発言に、何も知らない群衆は拍手を送っていたが、一言、私からも言いくなった。常々、私自身も行財政改革を標榜し「無理、無駄は止めよう・・」と訴えてきたが、2000数百億円の起債の多くは、これまでのつくばエクスプレス開業にかかわる北部整備事業や第2清掃工場と南部リフレッシュプラザなどの大型事業が続いたためで、放漫経営や無駄な事業の積み重ねはでないことくらいは誰でも知っている。あたかもこれまでの本多市政が間違っていたような訴えは絶対に承服できないことである。
事業を手控え税収を起債の返済に回せば、今の柏市なら容易に残高を減らすことは可能なのである。そして、人心に危機感を煽り、正義を振りかざすようなアジ演説に辟易の思いである。
「勝てば官軍」と言う言葉通り、連日、国政も政権交代以後、ごり押し、無理難題の言いたい放題、まるで独裁政治ではないかと思うほどである。
この市長選にしても、市政も議会も知らない候補者と、実績や経験の豊富な候補者とどちらに市政の舵取りを任せたら良いのかは分かりそうなものであるが・・。

運動会のことなど
2009/10/19

絶好のスポーツ日和の昨日、恒例の新富近隣センターふるさと協議会の運動会が行われた。今回で21回目となり、私などは全回出場の最古参役員になってしまった。
近年では、全種目参加賞や賞品付き、豚汁つきの昼食のお弁当、各町会対抗種目などのせいか毎回1500人以上の参加者が集まる地域の一大イベントとして定着したようだ。私も議員の立場で来賓挨拶があったが、自分の担当している11月7・8日の文化祭の宣伝をしっかりしてしまった。
折しも市長選真っ只中と言うこともあり、西富氏は民主党候補を、私は我が会派の海老原女史をと、それぞれが引き回し顔見せ興行に来る。いよいよ候補者は3人に絞られたが、どうも市民の反応は、いまいち盛り上がりに欠けるようである。私も連日、自分の新聞と一緒に海老原氏のリーフレットを配っているが、多忙のため中々はかどらないでいる。

我が家のメダカ達は、育ってみたらハヤの稚魚であることが判明、そして、エビと思ったものもどうもザリガニの幼生のようである。今年生まれた大量のカブトの幼虫は大きく育ち、オオクワガタのつがいも、依然として健在であり4年目の冬に入る。昨年来飼っているツチガエル君、餌が少ないらしく手足が痩せ細ってしまった。自然に発生していた微小のダニのようなムシがいなくなってしまったせいらしい。小カマキリやバッタやコウロギやチョウなどを餌として上げているが、餌を確保するのが非常に大変である。
内心、これらの生き物を飼うのはもう止めたいと思っているのだが、孫が頑張っているので教育上も止められないでいる。

台風一過、市長選は
2009/10/08

山々の紅葉の便りが連日放送される中、相も変わらず、何かと多忙な日が続いている。
一つには、市長選挙であり、我が会派を脱会し無所属・市民派を標榜して立候補した海老原議員の応援である。また一つは、2年ぶりに再開を決めた恒例だった後援会の「日帰りバス旅行」の企画と参加者の募集が開始されたことであり、またもう一つは、9月議会も終わり、半月も過ぎたので急きょ28号の「議会だより」を作ることになり配布を始めたことである。
その上、例年通りの文化祭が近づき、出演参加依頼や参加申し込みの説明や事務連絡が度々あったり、はたまた、連休も多く遊びの来た孫と遊んだりと、相変わらずのドタバタ続きの毎日が続いている。
市長選も、我が会派の議員さんは「勝手連」のスタンスで応援すればよいということながら、地元の引き回しや駅立ちやポスティングの依頼があるので、何のことはない通常の応援と大差がない。しかし、衆院選の敗北が未だ尾を引いており、気力が振るわない。
新聞も僅か1日半くらいの速攻で作ってしまったが、印刷機が途中で故障をしてしまい、2500枚配布したところで、目下、追加印刷は中断中である。新聞の内容も、本多市長の特集号のようなものになったが、私にとっては、本多市長以外の人が市長になるなど想像できないので困っている。止めるとなるとその偉大さが一層良く分かってきた。
今回の民主党候補者のように、柏市政の内容も議会も何も知らないで、いきなり風に乗って市のトップの座に飛んでこられても、なお更のこと困ってしまうのである。

今日は久々の台風の上陸と言うことで、昨夜来、かなり緊張をしていたのだが、たいした被害もなく昼には風も収まってきた。
半日一緒に回って知る。候補者は必死である。しっかり応援してやらなければ気の毒になってきた。

本多市長・最後の議会
2009/09/29

昨日で9月議会が終了した。
今議会は、全ての議案や請願が全会一致で可決され、反対討論もなければ議事の進行が止まると言うこともないという前代未聞の最終日であった。
また、激動の4期16年を勤め上げ、今期限りで退任する本多市長にとっての最後の議会ということもあり、最終日は私にとっても感無量のもがあった。
私が市会議員になって以来10年間、前列の席からずっと観察してきた本多市長は、ただただ感心することばかりで、野党側の厳しい追求や質問に対し、惚れ惚れするような機知にとんだ、そして的確で明快な答弁をしてきたものである。その市長が去り、この11月1日には新しい市長が誕生することになる。
とてもその様子を想像することは出来ないのだが、我が会派から意思表示をしている3名と民主党推薦の1人が候補者として名前が上がっている。しかし恐らくは、無所属で市民派に衣替えをする女性候補者と民主党候補者の一騎打ちになるのではないかと私は思っている。
いずれが勝ち残っても、本多市政の継承に囚われることなく、健全で安心な市政の運営を目指して欲しいものである。

9月も残すところ後1日。残暑も次第に穏やかになり紅葉の便りも聞かれるようになった。飼育鉢のカブトムシの幼虫も丸々太り、メダカや小エビもすくすく育っている。
今週は3男にとって初めての、私たちには6人目の孫が誕生した。「なんだ、また女の子かヨ・・」とは、1年生になった、たった一人の男の子の内孫の言葉。

頭の痛いことばかり
2009/09/15

国敗れて 山河あり 城春にして 草木深し・・・
政権が変わると言うことは大変な問題であり、今後の日本がどのように変わるのかという大きな期待と、今後の未知なる不安との両方を大多数の国民が抱いていることと思う。
また、300以上の議席を取りながら社民党や国民新党などと連立政権を組むことにも不安があるが、多くの美味しいマニフェストが実現するのかと言う点にも一層の不安が広がってくる。
また、米軍の普天間基地の移転問題やCO2の25%削減などの公約を本気で実施してしまったら、国際的な信用は、防衛は、外交はどうなるのだろうか・・などといったことも心配の種で、とてもとても楽観して見ていられない心境である。
そしてまた、大敗北した全国の多くの自民党代議士に思いを馳せると、何処の地でも同様に抱えていた多くの秘書さんたちの処遇問題が大きな悩みの種であろう。
落選しこれから浪人生活に入る先生方では、とても給料を払い秘書たちを抱えきれないのが現実であろう。
今回私も身近に見てきたことだが、つい半月前まで必死に支え、走り回り、奉公した自分の主が落選し、夢破れ志半ばに故郷に帰る彼らを思うと、気の毒で涙が出そうである。
そして更には、柏市長の後任問題も頭の痛い問題である。対抗馬の出現は決まったのに、未だ市内でも我が会派でも候補者が決まらず、目に見えない水面下の交渉が続いている。逆風の中、選挙で勝負になる人物というとになると、これもまた中々難しい問題なのであろう。

昨日は複数の質問の辞退者が出たため議会が休会となり、カメラを片手に新川耕地に行ってきた。そこで見つけたものは、偶然とはいえ、オオタカがハトを捕らえ、羽をむしっているところに遭遇した。こんなに間近にオオタカを見たことはない。金色に輝く精悍な目と雄雄しい姿の猛禽類の代表。双眼鏡で観察し、夢中で300mmの望遠レンズをつけて激写する。
まさに、前回以上の久々の快挙、犬も歩けば・・である。

久々の快挙
2009/09/07

9月議会が開会し、新議会役員人事も決定した。最大会派である我が会派の先輩がたの苦労も大変なものであり、以下、議長・成島孝、副・林伸司(公明)、監査・上橋泉、山田保夫(民主)というもので、他会派にも良く配慮がなされている。
それより大変なことは、本多市長が正式に辞意を表明し、市長選の候補者が混沌となってしまったことである。衆院選大敗の後では、民主党候補への対抗馬として誰も手を挙げる者はいそうもない。国政だけでなく、柏市政もまたこれまでの流れが変わり、議員、職員、関係者も大混乱になることが予測される。

そんなこんなで連日あれこれ頭が痛いことばかりであったが、昨日は久々に私にとって、快挙とも言える出来事があった。
それは、孫と久しぶりに行った「おおたかの森探検」で、目の良い孫が奥の池で干上がった水溜りの中に無数のメダカを発見したことである。初夏には、沢山のオタマジャクシがいることは知っていたが、まさかメダカがいるとはびっくり仰天である。この池は水路や水脈もなく外部から進入することは不可能な場所なのである。また同時に、孫が網で小さなエビもすくったのだが、それもまた新発見であった。
孫と私は、泥んこになりながら虫取り網で次々にそのメダカをすくっては、隣の大きな池の方に移してやった。数百匹は助けてやったと思う。そして最後に、大カマキリの餌用に採集した飼育鉢の虫たちを皆逃がし、1匹の子エビと20匹ほどのメダカを持ち帰った。
早速、詳しい知人に知らせてやったが、この森にメダカやエビのいることは知らなかったそうである。
翌日には、すっかり水溜りは干上がっており死骸も小鳥の餌になったらしくドロのみが残っていた。

敗戦の弁
2009/08/31

7月22日に衆議院が解散されて以来40日、長い長い選挙戦が終わった。そして、これまでマスコミの報じていた通り、民主が300議席以上の議席を獲得して「政権が交代」し、自民党は壊滅的な敗北を期してしまった。
私も精一杯、桜田氏を応援してきたのだが大逆風には為す術もなく、比例にも引っかからずに完敗をしてしまった。
今、攻守交替をしたTVの討論番組を見ながら、虚脱感で心身の疲れがドッと出ている。
敗因は沢山あるが、候補者個人の資質の問題や選挙戦の不味さではなく、正月の凧同様に風に乗った方が空に舞い上がっただけのことであり、多くの落選候補者や応援団の中には「空しさ」ばかりが残ったような気がする。
これからは静かに、マニフェストに書かれた夢のような美味しい話が実現できることを願い、民主党政権のお手並みを温かく見守りたいと思う。
ただただ願うことは、日本の国が財政的破綻することなく、また、国防や外交の面でも国際的な信用が失墜しないことを祈るばかりである。
また一方、私は、一緒に働いてきた有能な議員の秘書たちの行く末を案じている。彼ら全員が一致団結をし、寝る間もなく、弱音も吐かずに暑いさなかを黙々と働いており、ひとりの脱落者もなく、私は心底、彼らに感心をしてしまった。そしてまた同時に、軽薄短小といわれている今どきの若者たちを見直す思いであった。皆、素晴らしい青年たちである。
彼らと一緒に美味いものを食べ、慰労会、残念会を催してやりたいと思っている。
そして今夜は台風11号が通過中であり、選挙で始まり選挙で終わった熱い、暑い夏も終わる。

いよいよ出陣式
2009/08/19

昨日、衆議院議員選挙が公示され、いよいよわが国にとって天下分け目の決戦、政権を掛けた選挙戦の火蓋が切って落とされた。
前日には支援団体の最後の決起大会が催され、そして昨日は出陣式と、私の事務総長としての最大の任務である司会進行という大役を無事終了することが出来た。
気の小さい私にとっては、何百人もの観衆の中でのこのような任務は苦痛以外の何もでもないのだが、何故かこれまでにも何回もこんな仕事をさせられている。
次々に変わる来賓や本人の挨拶ほか様々な恒例行事に、的確に対応し進行を上手く運んでいくことは至難の業である。その上、私は田舎者せいか早口で言葉がハッキリしないと、妻からは度々注意をされているのである。
そんな私を事務総長と引き立ててくれる候補者には、自分の勉強のためと納得し感謝をしているのだが、いつまでも慣れないでいる。
しかしそんなお陰か、今回、初めて事務局長の先輩がが「今日の司会はスムーズにいき、勢いがあって良かったよ・・」と誉めてくれた。前夜祭に600人、本番には800人以上と予想外の大勢の支援者が集まってくれた。
集まった堅実な支援者は、大逆風に心配をして駆けつけて来てくれたのではないかと思うが、誰一人安心するものはいなかったようである。今回の選挙はそれほど厳しい、先の見えない選挙と言うことなのであろう。

可愛い孫達が遊びに来ているが、虫捕りにも連れて行ってあげられない。

選挙戦と天災
2009/08/11

いよいよ選挙戦も中盤を迎え、我が陣営も慌しくなってきた。
昨日などは、私でさえ10時から会派の勉強会、1時から候補者と共に支援団体の挨拶回り、4時からは地域後援会の緊急会議で司会進行、その後、7時から自民党の役員会という忙しさであった。
ところが本人の話では連日それどころの話ではなく、毎朝、駅頭のために5時半に起き、8時まで駅立ちをし、日中は多くの後援者の引き回しや挨拶回りで酷暑の中を歩き回り、夜ともなれば毎晩のように会合やミーティングなどの掛け持ちで寝るのは11時過ぎになると言うことである。
「こんなに苦しい選挙をやったことはない・・」と本人は言っていたが、「現在の逆風を跳ね返すには、自分を信じてがむしゃらに突っ走るしかない」とも言っており、音も上げずに連日精力的に動き回っている。そんな候補者を見ていると、根性のない私などはいたく感心し尊敬をしてしまう。そして、もっと一生懸命に応援しなければとも思う。
投票日まで残り20日を切ってしまった。
台風9号の接近と2日続けての地震発生にどうなることかと一時は不安に思ったものだが、幸い、いずれも一部の地域(兵庫県佐用町の人的被害・・本多市長の故郷)、東名高速道路の崩落等を除き被害は少なかったようである。
「天災は忘れた頃のやってくる」とは寺田虎彦の言葉だが、自民党議員にとっては、今回の選挙戦などは正に「人災」そのものである。

続コウガイビルの話
2009/07/30

選挙応援の間隙をぬって、私が時折訪れる場所は「おおたかの森」である。開発が進み、往時の3分の1の広さになってしまい、タヌキやウサギ、オオタカなどの大型の生き物遭うこともめったに無くなってしまったが、まだまだ捨てたものでもない。
私の目的は、捕虫網とカメラを持って行きつけのウマノスズクサのある場所へ行き、ジャコウアゲハの幼虫を観察したり、珍しい蝶や生き物を見つけると写真を撮ったり採集することなどである。
その後は、伐採を免れ生き残った、軽井沢を思わせる鬱蒼とした森林の中を一回り歩いてくるのだが、つい先日は、奥の池を泳いで来るアオダイショウをじっくりと観察をしたばかりだったが、昨日は、草むらでシマヘビにも遭遇した。
そして、今年の一番の異変は、数年前、山道を横断する黄色い「ひも」のようなヒルを見てその長さ(1mほどあった)に驚いたのだが、そのミスジコウガイビルという珍しい軟体動物が散策中に何度も見られるのである。大小さまざまで、土の中に潜ろうとしているものや、リング状になっているものなど、三角の頭にぬるぬるとした粘液の付いた身体は気味が悪い。
人間は、どうもヘビやウナギやウツボなど長いものは、好悪が激しいようだ。知人で「蛇は嫌じゃないが、毛虫は背中に虫ずが走るほど嫌い・・」という者がいたり、我が家の孫のように、怖いものがないというツワモノモいる。
日本には平安時代に、「虫愛ずる姫君」というお姫様がいて、毛虫を手に這わせて「この虫のならむ様を見む・・」といって大量に毛虫飼って観察していたというお姫様の話が「堤中納言物語」に書かれている。異常な話なので残っているのだろうが、まさにファーブルにも勝る快挙である。
今年の異常気象で雨が多いために土中から地上に現れているのか、何かの理由で異常発生をしたのか分からないが、このヒルのように自然界には分からないことばかりである。


選挙戦始まる
2009/07/24

21日の衆議院の解散以後、私のような市会議員の端くれまでが、急に慌しくなった。
解散前に決まっていた私の地域の「桜田義孝タウンミーティング」の人集めに奔走していたところに、更に、昨年秋に仰せつかった選対本部の事務総長という役柄上の仕事が再び舞い込んで来たのである。
解散の日に早速お呼びが掛かり、役員会が招集され打合せや司会進行を担当し、2日後の昨日は、拡大選対会議が開催され支援者、関係団体数百人の人たちの前での司会に全神経を使う。
「暴雨風雨の中を出航する桜田丸が、何としても難破することなく荒波を乗り越え目的地に辿り着かなければ・・」というような市長の挨拶があったが、正に、その通りであり、自民党結党以来の危機、厳しい戦いになるだろう。
私もまた酷暑の中、連日、地元の後援者に配布物を配ったり、候補者本人の引き回しをしたりしている。
本人も周囲の者もこれまでの2倍も3倍も頑張らなければ、自民党の劣勢は挽回出来ないだろうし、逆風に立ち向かえないだろうと思う。
大盤振る舞いで、将来の日本に更なる負の遺産を残すことなく、私にとっても柏市にとっても身近な櫻田氏を落とすわけにはいかないと思っている。

温暖化のせいか、ツマグロヒョウモンが益々増えているようだ。先週末、無事に町会の盆踊りも終わった。

8・30/衆院選決定!
2009/07/14

予測されたこととはいえ、東京都議会議員選挙で自民党が惨敗し、少しは麻生総理も謙虚に反省するかと思えば、「国政とは関係が無い・・」とまるで他人事。相変わらずの強気の発言。石原都知事も呆れ果てて「総理は、KYだ・・」と苦い顔でテレビ発言。
この選挙、まさに前回の小泉チルドレンを思い出させるような、まるで選挙が人物、実績、政策関係なく「民主」の風に乗った政党旗に群がる若者達の人気投票になってしまった。総理や国政のお粗末さのお陰で割を食ったベテラン落選候補者にはお気の毒だが、間近に迫った衆議院選挙を控え、「明日は我が身」と震えた上がった国会の議員さんも多いはずである。
そして、昨日、KY氏は今月21日解散、8月の30日投票日という選挙スケジュールを決定する。
ちょうど子供たちの夏休み期間中であり、関係者は全て休み返上で選挙戦に入ることになる。昨年秋から「解散・解散」と大騒ぎをしてきたものだが、自民党にとっては支持率最低、我々にとっても柏の市議選同様の酷暑の中、最悪の時期に選挙となってしまった。
それでも、私としては昨年仰せつかった選対本部の役柄上、また、実現の見通しのたった16号バイパスや今後の柏市政発展の為にも「桜田義孝」を何としても当選させるべく全力で応援しなければならない。
今回の選挙は、これまで以上に本当に厳しい選挙になりそうである。

最新の消防署オープン
2009/07/02

昨日は、西部消防署富勢分署の開所式に出席してきた。総務委員会のみの招待だったらしいが、私同様、現場の様子に多少の関心があったらしく、ほとんどの委員が参加していた。
柏市は、市民の安全・安心が最重要施策の一つと言うこともあって、毎年のように最新の高機能消防車や救急車の購入のためや設備の充実に、多額の予算を計上している。(今議会で取得が決まった特殊水槽ポンプ車は、4,2億円もしている。)
また、今議会で議案の出た高機能消防指令情報システムの整備には、約11億円の工事請負契約を承認したところである。これは、我孫子市との共同事業で、費用は2市の人口割で費用を負担をすることになるが、これは行政の広域化の初めであり、垣根を越え火災や事故や災害の緊急情報を入手し、最新の通信システムを使い2市でより迅速に対応しようとするものである。
興味深いそのシステムの一つに、防災情報カメラが設置されることになるが、東電の鉄塔の上に設置する高性能のカメラは、3箇所の設置で二つの市全体をカバー出来、ズームレンズは1050mmまで引き伸ばせ、10km先の車が確認できると言う。火災や事故の現場の様子がリアルに目視できるので、その対応が的確に出来るそうである。
さて話を戻すが、式典は予想外に簡単に終わり、その後は、署員の消防訓練や施設見学会などが催された。もともとこの場所(布施764)は、消防署員の訓練所のあったところで、土地も広く(約3800u)、消防署の建物の他、訓練棟、放水訓練用壁(水が再利用される)、訓練塔(高さ25m)などの設備、そして、最新の水槽付ポンプ車、高規格救急車、40mまでアームの伸びるはしご車など、最高級の車両や備品が揃っている。消防長に聞いたところ、総費用は5億3000万円ほど掛かっていると言うことであった。
火災や災害、事故は無いに越したことはないが、いつ起こるか知れない災害に万全の準備をすることは必要であり、柏の防災の備えは着実に進んでいるようだ。
委員の多くは進められるままに、ヘルメットをかぶり地上25mの塔に登り周囲の景観を堪能してきた。

市長選の行方は・・
2009/06/22

6月議会も一般質問も済み、今日は私の属する総務委員会が開かれ、波乱も無く全議案が承認された。
今議会の最大の関心事は、11月1日投票日と決まった本多市長の出馬表明であったが、結局、最後まで「目下、熟慮中です」と言うばかりで、出馬も不出馬の意思表示はしなかった。
千葉市を含め、民主党候補に市長選3連敗中ということで、また多選の弊害が声高に騒がれる中での出馬は、これまでに無い厳しい戦いであり冒険でもある。しかし、私が自分なりに市長候補として現市長を評価するなら、そしてまた、4期16年の実績を見る限りにおいて、人により、功罪を様々あげつらっていても、人物、能力、気力、体力などほとんどの面で現市長・本多晃氏に勝る人物はいないと思っている。
そして今日の新聞には、船橋市の藤代氏が4選を決めた。「多選批判をはね返す」とあったが、多少は朗報である。
衆議院選も依然として混沌としているが、柏市にとって「誰が国とのパイプ役として役に立つか」と言うことをよく考えて投票して欲しいものだ。
前回の松戸・流山の補選で、逆風の中、有能な候補者が冷やかし半分の女性候補に敗れたようなことになっては政治もお終いである。

昨年のカブトムシの孫、サナギたちが私の家でも孫のところでも羽化を始めせっせとゼリーを食べている。ジャコウアゲハの幼虫も2頭がサナギになった。
いよいよ虫の季節到来である。



美術館めぐり
2009/06/09

今日は、妻と共に上野の国立西洋美術館でルーヴル美術展を見てきた。先週、孫達と行った科学博物館での大恐竜展に続いての上野の森訪問である。
その時も驚いたのだが、親子連れの恐竜展も入場制限をするほどの混雑ぶりだったのだが、直ぐ隣のルーブル展のほうは、更に大混雑で屋外の行列が延々と続いていおり、これでは週末はやめようということになっていたものである。
そのため、今日は9時の開館と同時に入ったので待つこともなかった。しかし、音声ガイドの器械を借り説明を聞きながら絵画を見ていると、館内はたちまち人波で溢れ、のんびりと絵画の鑑賞どころではなくなってしまった。
これまでの有名画家の作品展もそうだが、どうして日本人はこんなに絵画、芸術が好きなのだろうと不思議に思うのだが、結局のところ、フェルメールやレンブラントやルーベンスなど、ただただ有名な画家の作品が一同に会し、国内で安価(1500円)に見られるというだけのことで、芸術に特別関心があるとか、我々同様さほど深い意味も無いのかもしれない。
その後、ついでなので東京都美術館に足を運び「日本の美術館名品展」も見てきた。こちらは、国内の美術館が所蔵する絵画や彫刻や日本画などの名作や所蔵品を集めた展示会であったが、16,17世紀中心のルーブル展とは違い、印象派や現代アートなどのものが多く私には感動の無い作品が多かった。ミレーやモネ、セザンヌやルノワールまでは良いのだが、ピカソやシャガール、ダリ、ルオーなどになると絵を見て癒されるより疲れが出てしまう。
その後、同じ都の美術館内で開催していた、友人の出品している日本水彩画展も見てきたが、3展示会それぞれに見事ではあったのだが、技量や質の違いと芸術のレベルの相違が素人目にも分かってくるものである。
素晴らしい剣玉名人の大道芸を脇に見をしながら帰路に着いたが、さすがに帰りにはくたくたになってしまった。  明日からいよいよ6月議会の質問が始まる。

シルク・ドゥ・ソレイユ
2009/05/26

先週に引き続いて、今週もまた会派の仲間5人と個人視察で勉強会や現地見学に行ってきた。帰宅後、直ぐに町会の恒例行事の「潮干狩り」があり、役員と共にバス4台のお年寄りや親子を引率する。幸い、心配された天候も全て降られることも無く、予想以上にうまくいった。そして、最後が孫の運動会と代休で昨日まで振り回される始末。
今日は、みどりの基金の理事会があり、先日実施した監査報告をする。29日には、臨時議会の召集があり、来週は6月議会の開会である。
我が家にも定額給付金の振込みがあり、妻と共に「シルク・ド・ソレイユ」と言うサーカスを見てきた。何年か前に見たことのある、「サルティンバンコ」というショウ同様の世界でも屈指のサーカスと言うか、人間の極限のパフォーマンスと舞台芸術や音楽のショーであり、最高の贅沢であり感動であった。
そして一番驚いたことは、この公演チケットが9800円から18000円という高額なものなのに、ほとんど良い席から売れており、1500席ほどある会場がほぼ満席なのである。
お隣のデズニーランドもいつも大混雑だが、わが国の大不況・新型インフルエンザもどこ吹く風である。そして、昨日は北朝鮮の核実験が行われ、世界も政界も益々混沌としてきた。一体次には何が起きるのだろうか。
一生懸命に走っているこの純真な子供たちのためにも、平和な世の中になって欲しいものである。

関西の視察
2009/05/14

市議会の休会中ということで、先月から今月に掛けて各委員会の視察が行われている。年1回の恒例行事である。
私の属する総務委員会では、この月曜日から2泊3日で関西地方の芦屋市、堺市、そして琵琶湖西側の高島市に行ってきた。視察項目は、驚いたことに3日間とも全て「行財政改革」に関するものばかりであった。それぞれに市の事情や特色や取り組み方に違いはあるのだが、いずれも市も、危機的な今日の財政状況を回避するための考え得る最善の改革をやっているようだ。
そして、各市とも考え得る行革の方法に多少の違いはあるのだが、いずれの自治体も結局のところ、職員の人員削減や意識改革、事業の見直しや民間委託、公共施設の有料化や指定管理者制度の導入、不要財産の売却等々、その内容はほとんどが似たようなものになってしまうのである。
そのためそれぞれの市の担当者の説明も似通ってしまうことは致仕方のないことかも知れないが、訪問したところは有能な指導者がおり、それなりの効果を挙げているところであった。
そして私が思ったことは、各自治体の財政が危機的状況になる前に、日頃から市の経営を担当する首長や執行部職員が、家庭や個人では自分のふところ具合を考えながらお金を使うように、無理や無駄をせずに有意義に税金を使うべきであると言う、私の日々の主張に落ち着いたところである。
どうも私には、国も県も市町村も市民の税金を自分のお金のように、厳しくそして大切に使われているとは思えないのである。多少の無駄をしても市は潰れないし、借金が出来るので大丈夫だと思っているようだ。
今回の視察は講義が多く内容も驚くようなものは無かったが、芦屋市の震災の後の復興状況、政令指定都市になった商人の町・堺市の賑わいぶり、戦国時代の歴史の名がそこここにある琵琶湖畔の田舎町の高島市もまた興味ある町であった。
「百聞は一見にしかず」と言う。視察の最大の効用は他所の土地とそこに済む人や生活振りを見て我がふりを見直すことである。色々なことが感じられるものである。


大型連休のこと
2009/05/07

長い長い大型連休も終わり日常の生活が戻って来た。
前半は、家庭サービスと孫との思い出づくりをかねて、知人のオーナーズホテルの名前を借りて福島県の猪苗代に行ってきた。一泊1000円と格安の料金で泊まれるので、時々、利用させてもらっている。親戚にも余り貸さないのに、何故か昔から我が家には快く使わせてくれるので息子たちも大助かりであった。
高速道路が乗り放題1000円なので、余程、土曜日に出発しようと思ったのだが、渋滞を予想して金曜日の9時に家を出たら、高速もガラガラであった。昼には雪景色の美しいスカイラインの浄土平に到着し、大好きな吾妻小富士を初めて6歳と4歳の孫を連れて登って来た。私などよりずっと元気なので驚く。
帰りも日曜日の昼過ぎに出たのでほとんど渋滞なし。往きに5800円掛かった料金が1000円で済んだので、初めて高速料金の割引を実感する。連休中、連日の信じ難い数十キロという渋滞情報を聞きながら、私たちは何と賢い利用法をしたものだと自画自賛、一層満足したものである。
もう一つの連日のニュースは、新型のインフルエンザで世界中が大騒ぎをしている事であった。幸い、我が国では現在のところ発生はないようだが、柏市でも「危機管理連絡会議」を設置した旨のファックスが入ってきた。
100年に一度の金融危機が叫ばれ、今日は日本の子どもの数が1714万人と最小記録を更新したとあったが、それはそれ、豚インフルエンザ感染のリスクにもめげず大型連休を海外で過ごし、昨年を上回る帰国ラッシュが報じられる平和で豊かな国が日本なのである。
後半の天候不順の中、初めての農作業に汗を流し、目下、あちこち筋肉痛である。「老後は田舎で晴耕雨読」などという格好の良い事はスーパーマンでなければ出来ない事を知る。
今年も我が家のサクランボがたわわに実り、真っ赤に色付きヒヨドリが騒いでいる。「網で覆わないから、好きなだけお食べ」

春の出来事
2009/04/24

ここ数日、いくつかの嫌なことが重なり気分が乗らないでいる。どうも、議員という立場なのか風当たりも強く、思わぬところで不快な思いにさせられる。
一つは、私が部長をしている「ふるさと協議会」の文化部の副部長が、町会の都合とかで一方的に役員を止めさせらるということがあった。非常に有能で何でも出来る男で、もう一人の女性副部長と共にこ数年、和気藹々、素晴らしい文化祭や部の運営が出来ていたものである。
もう一つは、先日の早朝の6時前、「議会だより」の新聞の配布するのに近くの知人の駐車場に車を置かせて貰い、1時間半ほどポスティングをして戻ってみると、その知人が顔色を変えて待ち構えていたのである。確かに無断で置いたのは私が悪いので、平身低頭謝ったのだが、罵詈雑言、びっくりするような言葉で私を罵るのである。私の車が出られないようにふさいであり、延々と聞くに堪えない暴言を吐くのである。
PTAの後輩でもあるので、甘えた私が悪かったが、余程、私に鬱屈した何かを持っていたのであろう。逆切れも出来ずひたすら詫びたが、後になってから次第に腹がったってきて、その数々の暴言を思い出してはここ数日間、嫌な思いをしているのである。
自分では他人にそんな言葉を吐いたことがないし、意地の悪い仕打ちなども出来ない方なので、人間不信に陥る。
もう一つは、息子に成りすましたオレオレ詐欺の巧妙な手口に、我が家が一っ時でも振り回されことである。全く被害も無かったのだが、驚かされただけでも非常に不快な出来事であった。
人の世の常とはいえ、善悪、吉凶、どちらに転ぶか神のみぞ知る、何があったか分からないが、酔狂過ぎて訳も分からず裸になって逮捕された、草なぎ剛のような自滅行為だけはしたくないものだ。

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